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浮世絵とは?
1.浮世絵のはじまり
浮世絵には版画と肉筆画がありますが、一般に単に浮世絵と言えば浮世絵版画を指しています。浮世絵とは時世風俗を主題とした絵という意味で、安土・桃山時代の頃から肉筆画で多く描かれていました。しかし、これらの肉筆画は、当然量産性が無いため庶民の文化にはなり得ませんでした。
浮世絵が庶民の文化となったのは、版画という量産性のある技術の発達した江戸時代になってからです。
一般には延宝年間の菱川師宣によって始められたというのが通説となっています。
2.浮世絵のモチーフ
江戸時代以前の絵画などの芸術は、そのほとんどが貴族階級によって擁護され、発展してきました。すなわち、貴族のための芸術であり民衆の芸術と呼べるものはほとんどありませんでした。
ところが、江戸時代に入り町人の経済力が上がる事で、貴族文化に対して町人文化が形成されました。そしてその一般大衆の生活、風俗が浮世絵の重要なモチーフとなりました。中でも当時の「浮世」の代表的な存在が遊里と芝居町という2大悪所と呼ばれる場所であったため、「美人画」、「役者絵」などが浮世絵の代表的なものとなっています。
3.浮世絵は芸術か?
上に書いたように、町民の生活・風俗を描いた浮世絵は、当然一般大衆が買える値段で売られており芸術作品との認識はありませんでした。役者絵は、今でいう芸能人のブロマイドであり、ポスター、週刊誌の類です。
1880年〜1890年にヨーロッパで起こった「ジャポニズム」の高まりが浮世絵が芸術として認識されるきっかけとなりました。日本では二束三文で売られていた浮世絵の多くはその時期に海外に流出して行きゴッホや印象派の人々に影響を与えました。
以上にような経緯から分かるように浮世絵というのは庶民の文化であり、最近まで芸術の対象ではありませんでした。したがって、有名な大名家や公家の家に伝来した浮世絵版画(肉筆画は別)というものは基本的に存在しません。もし、そのような伝来の浮世絵があれば、まずは疑ってかかる必要があります。
4.浮世絵の製作工程
浮世絵版画は、現在の版画のように作者が原画を描き、板を彫り、紙に摺っている訳でありません。北斎や写楽は、下絵を描くだけで後は専門の彫師、摺師が行っていました。したがって、版画の良し悪しは、下絵の出来だけでなく彫師、摺師の技術に依存していました。(特に髪の毛の生え際など彫師の技術の見せ所です)しかし、当時は絵師は芸術家ではなく単なる職人であり、その地位は高いものではなく、彫師、摺師はそれ以上に低く見られていました。
浮世絵の製作工程は下表のようになります。
1 |
版元が企画 → 絵師に注文 |
2 |
絵師は、版画の原寸で下絵を描く(色は無く墨絵) |
3 |
絵師は完成した下絵を版元に届ける |
4 |
版元は下絵を検閲に回し、問題が無ければ極め印(あらため印)が押され版元に戻る |
5 |
版元は、彫師を選び下絵を回す |
6 |
彫師は版下絵を充分に乾燥させた桜の版木に裏にして貼り付け、下絵にしたがって彫る |
7 |
完成した墨板は摺師に渡され何枚か摺り上げ、絵師に差し戻して色の指定をしてもらう |
8 |
絵師によって指定された色によって彫師が色板を作成する |
9 |
墨板と色板を使って摺師が版画を完成させる |
5.初摺と後摺
浮世絵は、桜の板を使用しているため摺る枚数が増えれば磨耗してきます。そのため、最初に摺られた
約200枚(1杯目:摺の単位)のものを初摺と呼び、それ以降のものを後摺と呼んで区別しています。
初摺のものは、下記の理由により理想的な状態で作られており重要視されます。
1)版木の摩滅が少ない
2)絵師が意図した色や線が充分現れているかどうか等を慎重に吟味する
3)摺師が丁寧に仕事をする
一方、後摺は摺師の都合で色数が減らされたり、版木の摩滅によって細かな描線が崩れたりと、作品の質が落ちるものがあります。そのため、市場での評価も初摺と後摺では値段に大きな差が付いています。一般に北斎や歌麿の版画で何百万〜何千万円と言われているものは初摺であり、後摺であればせいぜい数千円と大きく差が付いてきます。
6.異版とは?
浮世絵も初摺と後摺だけであればある程度見分けが付くのですが、これに加えて『異版』というものが存在します。この『異版』には3つの場合が考えられます。
- 沢山売れたために版が摩滅していまい、同じ版元がまったく同じ絵をもう一度彫り直したもの。
- 人気の高かった浮世絵師の「海賊版」。真贋の重要なポイントである「紙と絵具」が同時代のものであるため判断が難しい。
- 明治以降、欧米で浮世絵の人気が高まり価格が高騰し、品薄となったため作成した「複製」。
このうち、1、2は取りあえず「本物」として通っていますが、3はいわゆる「偽物」です。本物と同じ版を使って後に摺ったものは「偽物」とは言えませんが、版が異なればこれはもう単なる「偽物」としか言えません。
もともとポスターやブロマイドのような民衆の文化であった浮世絵が100年以上もそのまま残っているはずもなく、海外に渡ったと言われる何十万枚の浮世絵の多くはこのような「複製」であったと考えられます。明治の中ごろには、江戸時代の腕の良い彫師や摺師が残っていたため専門業者でも見分けるのが難しい場合があります。
特に写楽は「異版」が多い事で有名です。発売当時人気があったとは思われない写楽に「異版」が多いことは、「写楽の正体」よりも「謎」だと言われています。(笑)
参考文献
●「浮世絵鑑賞辞典」 高橋克彦
●「芸術倶楽部」 Vol.25
●「浮世絵の見方事典」吉田漱
●「浮世絵の歴史」小林忠
7.浮世絵は奥が深い
浮世絵の総発行数は、一説によると100万枚だと言われています。しかし、公の機関では東京国立博物館、東京都中央図書館、太田記念美術館、平木美術館などでも所蔵は1万枚単位でしかありません。日本一の所蔵を誇る松本の日本浮世絵博物館でさえ10万枚です。したがって、私達が見ることができる浮世絵は全体のうちのほんの一部でしかありません。
また、美術館などで展示される浮世絵は、写楽、歌麿、北斎、広重など有名で人を呼べるような絵師達のものが中心ですから、私達が見ることのできる絵も当然限られてきます。はたして私達は何点位の浮世絵を見ているのでしょうか? こまめに浮世絵展や太田美術館に通ったとしてもそのうち何割かは見たことのある有名な絵でしょうから、多く見積もっても数千点(多すぎるかな?)位のものではないでしょうか?
ですから、私達の知らない浮世絵は山のようにある訳です。
松本の日本浮世絵博物館に関しての記述を紹介します。
「(国貞や国芳の3部作や5部作を見ていて)順番を変えないで下さい。いったん紛れこんじゃうと永久に分からなくなりますから。いま見ている絵だって、おそらく誰も見たことないですよ。(酒井館長)」
『ゴッホが愛した浮世絵』NHK取材班より
「この驚愕と興奮をどのように表現すればいいのか。まさに私は打ちのめされた。宝庫である。50畳以上はあろうかという広いフロア一杯にキャビネットが並んでいる。その一つ一つにびっしりと浮世絵が詰められているのだ。しかも写楽も歌麿も清長も北斎も、あいうえお順に収められている。ここでは芳年や国周も写楽と同列の扱いなのだ。こんなのは見たことがない。浮世絵を本当に愛しているからこそできることだ。」
『玉子魔人の日常』高橋克彦
私も是非行って所蔵品を見てきたいものです。でも、通常は100点位しか展示品していないそうです。