佐野乾山事件に対する私の意見

本項は、3年前に書いたままになっていましたので、昨年末からの調査内容を加味して追加・修正します。


●私の意見

私は、もちろん真作派です。

私が真作と考える理由は、下記の通りです。

  1. 一流の目利きと言われた森川親子が真作と判断したこと。
  2. 「手控え」に関して乾山・光琳の研究者である山根有三氏,近世文学の権威である野間光辰氏が真作と判断したこと
  3. 最近になり住友慎一氏達の真面目な研究成果が発表されてきている。
  4. 写真で見る限り作品はなかなか良いと思う。(← 真贋には全く関係ない。素人の感想)


1)森川親子が真作と判断

骨董屋が束になっても敵わないと言われたほどの目利きである、森川勇氏とその父であり古陶磁鑑定ではわが国第一人者と言われていた森川勘一郎氏が真作と判断した訳ですから、これはかなり説得力があります。
また、森川氏自ら佐野まで出かけて行き、買い集めたほどですから森川氏の力の入れようが分かります。本物と思わなければそこまでしないでしょう。


2)手控えの真贋

当時、東大の助教授で乾山、光琳の研究者であった山根有三氏、近世文学の権威である京大助教授野間光辰氏が本物だと判断したのですから、それなりの評価をすべきです。
にも関わらず、実際には手控えに関しては、もっぱら水墨画家で自称かな文字研究家(つまり専門家ではない)の加瀬藤圃氏の独自の理論ばかりが美術雑誌や新聞記事を飾る事になり、まっとうな論争にはなっていません。私はこの分野でこそ、きちんとした「専門家」が自説を戦わせるべきと思います。


3)住友慎一氏の著作

昭和60年代に世に捨てられていた佐野乾山を買い集め、関連文書や資料を丹念に集め数冊の著書を世に問いました。これにより世論の風向きが若干変わったようです。住友氏の研究では、真贋論争の時に真筆との対比で筆跡鑑定を行いましたが、真筆と言われていたものが実は乾山が他人に筆写させたものだとの事です。


4)佐野乾山の作品

全くの素人の私がどう感じようと全く真贋論争には関係がないのですが(笑)、住友氏の著書に載っている作品を見た限りにおいては、私はなかなか良いと思います。
人によっては、「風格がない」、「派手すぎる」と感じるかも知れませんが、私は「好き」です。




佐那具窯との関連
佐野乾山事件で特徴的なのが、バーナード・リーチを除いてほとんどの陶工が贋作派となっていることです。特にリーチの親友であり、共に七世乾山を継承している富本憲吉氏のコメントが印象的です。
  1. 絵のコンポジションが狂っており、ひと目でダメだといった。乾山研究をすすめるには色絵の研究をしなければならぬが、リーチ氏はその点が甘い。
  2. また、日本の古美術界の内幕も知らない。
上の1項に関しては、色絵の研究が甘くても七世乾山を継承できるのかという疑問はあります。しかし、2項はどう取れば良いのでしょうか? 素直に読めば、日本の古美術界の 内幕も知らずに余計な事を言うな、という風に読み取れます。
最近公開された「吉薗資料」で佐那具窯の実態が明らかになりました。佐那具窯では、乾山の贋作を 大量に作り、古美術商達が売りさばいていたそうです。しかも、浜田庄司などの有名陶工が手伝っていたそうですから昭和37年当時、陶工達の間では佐那具窯の記憶が 生々しく残っていたのかも知れません。
また、「世上の乾山も7、8割はいけない」と指摘した森川氏の発言も佐那具窯の件を考えると、古美術界や陶工にとって聞き捨てならない発言だったのではないでしょうか。





●最近の真贋論争に関して

「佐伯祐三真贋事件」についても言える事なんですが、この「佐野乾山事件」について感じたのは、

1)何故、1点1点に関して論じないのだろうか?
2)お互いに同じ物を見て論争しているのだろうか?

と言う事です。
本来絵画にしても焼き物にしても1点1点について真贋が問われるはずです。そしてその場合、真作派、贋作派ともに同じ物を見て論争するはずです。ところが佐野乾山の場合、一度に200点以上も見つかったため、贋作派の主張としては「ある特定の作品に疑義あるため、すべてダメ」という論法がなされています。(「佐伯祐三の真贋事件」に関しても同様)



●最終的な独断的私見

【結論】
「佐野乾山事件」は、森川親子と業界の利害の代表者である日本陶磁協会の確執によって発生したものだと思います。
当初、真作派は、東京国立博物館の林屋晴三氏、京都国立博物館の藤岡了一氏(皮肉なことに氏は佐那具陶研の中心人物である小森忍の甥である)、東大の山根有三氏、京大の野間光辰氏などの支持があり、優勢でしたが、国会文教委員会での言論統制によって、それ以降発言ができなくなり、反対派である陶磁協会側の発言の言い放題となってしまいました。
この、反対派は元気に論じるのに関わらず、真作派は発言をしない状態を捉えて、ほとんどの美術評論家は、佐野乾山は「限りなく黒に近いグレー」と論じています。これほど、明確な言論統制があったにも関わらずその点を論じない美術評論家は、無知なのか、そうでなければ、ある勢力によってコントロールされているかのどちらかであり、そのいずれであっても信用するに値しない人達です。(瀬木慎一氏のように、きちんと手控帖を読んで正しい評論をする方も居ますが、少数派です)
最近、乾山研究の第一人者である竹内順一氏 (東京藝術大学 大学美術館長)によって、「絵付けのなかに乾山の手になる「絵」があるか否かは、乾山焼研究の大きな追究目標であるが、伝世品のなかには確定できるものはない。」という明確な判断が出されています。これを以てしても、佐野乾山事件当時、最も強かった「真正乾山と絵が違う」という主張が如何に意味の無いことであったかが分かります。
ただし、当時の陶磁協会が強力に反対派になったのは事実ですが、それは協会内部の一部の有力者に引きずられた面があったと思います。
作家で古陶磁研究家の細野耕三氏は住友氏の著作を読んで感動し、「二代光琳 乾山」を著しましたが、その本を読んだ陶磁協会の和陶の権威である満岡忠成氏が「あのときは反対したが、今になって反省している」という主旨の感想を細野氏に送ったとのことです。(「ドキュメント真贋」 落合莞爾氏著より)
この事実から、陶磁協会の中心人物であった満岡氏でさえも手控帖
をまともに読まずに、反対していたことが分かります。

【今後の重要な課題】
佐野乾山と言われているものが、すべて乾山の作ではないことは当然です。佐野乾山と言われているものの中には以下の5種類はあると思われます。
  1. 乾山がすべて作り、絵付けをしたもの
  2. 弟子が作り、乾山が絵付けをしたもの
  3. 江戸から取り寄せた素焼きを使って乾山が絵付けをしたもの
  4. 乾山が去ったあと(同じ窯で)弟子が作ったもの
  5. 後世の贋作
これらの選別が重要な作業となると思います。美術評論家の水尾比呂志はこれらを選別するには、その「芸術性」を見るしかないと述べています。森川氏が蒐集したものに、4,5項のものはないでしょうが、それ以外のものは、慎重な選別が必要だと思います。




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