【番外】 北大路魯山人のニセモノ騒動

<本項はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません>



●佐野乾山の総括

私が事務所のソファに寝転んで、新聞の切り抜きを読んでいると、秘書の村山が入ってきた。
足音から察すると今日は機嫌は悪くないようだ。
「あら、司郎さん。今度は魯山人ですか...。 もう佐野乾山は飽きたんですか」 この小さな新聞の切り抜きの記事を一瞬のうちに読み取るとは、相変わらず、目ざとい女だ。しかし、逆らうとうるさいので適当にあしらう事にしよう。
「まあ、そんなところだ。年末から少し佐野乾山には入れ込み過ぎたからな。」
「そうですね。でも、そのお陰で佐野乾山事件の全貌が解明されたわけですから...、さすが司郎さんですね。」と、珍しく持ち上げてきた。これも逆らわない方が良いだろう。
「俺もそう思っていた。しかし昨日、友人からその本を見せられてショックを受けた。」と言って、テーブルの上の本を指差した。
「この本ですか...。『真贋 尾形乾山の見極め』著者は渡辺達也...。聞いたことない人ですね。」
「俺も知らなかったが、佐野の在野の研究家だそうだ。佐野乾山事件当時、壬生高校で教鞭をとっていたとのことで、昭和38年10月の具慶庵址・乾山築窯址の発掘に林屋晴三氏、石塚青我氏とともに加わっている。俺のように新参者とは違い、筋金入りの佐野乾山研究家だ。」
「そうなんですか。この本に司郎さんがHPに書かれた内容が書かれているんですか?」村山はかなり興味を持ったようだ。
「重要なのは、落合先生の著書に書かれている吉薗手記の内容もきちんと述べてあることだ。渡辺氏も佐野乾山に対する大和陶磁協会の執拗な贋作攻撃の理由が分からなかったようだが、佐那下陶研での乾山倣作を知り、すべて辻褄があったようだ。1999年刊行だから、今から5年以上前に出されている。」
「それはショックだったでしょうね。でも、どうしてこの本の存在を知らなかったのですか?」と、人を探るような目で見つめながら聞いてきた。俺はしょうがなくソファから起き上がり、説明した。
「どうも、一般の書店では売っていないようだ。渡辺氏が例の住友先生と書いた『尾形乾山手控集成下野佐野滞留期記録』という本はWebで検索すると出てくるが、この『真贋 尾形乾山の見極め』に関しては、情報すらない。」
「それじゃあしょうがないですね。それにしても大和陶磁協会って、まったくひどいですね。」
「それは言い方がおかしいぞ。俺が追求しているのは、あくまでも40年前の大和陶磁協会であって現在の陶磁協会ではない。その辺は誤解しないでくれ。例えば、日本は戦争中に他の国に対して随分とひどい事もしたと思うが、戦後数十年経った今だから批判できることも多いし、それを以て現在の俺達が「日本はひどい」と言われれば違和感があるだろう? 佐那下にしても、軍部と結びついていたことや当時の時代背景を無視して批判するのは簡単だが、現在の大和陶磁協会を含めて批判するのは的外れだ。」
「申し訳ありません。確かにそうですね。40年も経つと、当時の人達はほとんど居ないでしょうから陶磁協会自体も名前は同じでも内部はまったく別物ということですね。」
「その通り、どんな組織だって40年も経てば必ず中身は変化しているはずだ。」と俺は希望を込めて言った。
「もう一つ言うと、俺は佐野乾山と言われているものが、すべて本物だと言っている訳ではない。少なくとも、森川勇、勘一郎親子、バーナード・リーチ氏が認めたもの以外は、俺の中ではすべてグレーだ。村山知ってるか? 森川勇氏のご尊父である森川勘一郎氏ってのは、有名な茶人で、三井の鈍翁によって分断された佐竹本の三十六歌仙の一つである柿本人麻呂を所有していたほどの人だ。今の価格でいうと1億5千万円ぐらいするものを購入していたんだ。」と自慢げに言った。
「馬鹿にしないで下さい。そんな事、私だって知ってます。私は、名古屋城にある森川コレクションを見に行った事もあるんですから...。」
「そうか、それなら良いが...」と、俺は名古屋の森川コレクションの件は知らなかったが、気づかれないように誤魔化した。


●魯山人のニセモノ騒動

「それはそうと、その新聞の切り抜きの件ですが、魯山人の贋作事件の件ですか?」と、村山は話題を切り替えてきた。
「そうだ。昭和39年の新聞の切り抜きだ。」と、言って昭和39年5月12日付けの毎日新聞を村山に差し出した。

魯山人にも ニセモノ騒ぎ
白木屋が異例の買いもどし
即売展の責任をとる
きょうから鑑定委が判定
”店の信用問題”と

「簡単に説明すると、北大路魯山人が亡くなって4年目に白木屋で開催された『即売展』での話で...言っておくが白木屋と言っても、今ある居酒屋じゃないぞ、日本橋にあった老舗のデパートだ...この時、陶器460点、書画40点余が出品されて、そのうち108点が売れて、395万円の売り上げがあった。現在の価値で換算するとだいたい10倍の4,000万円の売り上げがあったと考えればいいだろう。ところが、その出品されたもののうち書は半分以上、陶器は2〜3割はニセモノだという噂が美術通の間に高まったため、驚いた白木屋が『信用に関わる大問題』として、専門家による公開の鑑定会を開き、ニセモノはすべて買い戻すことになった。」
「私だって白木屋ぐらい知っています。馬鹿にしないで下さい。」と少しむくれた顔で言った。
「確かに、デパートが公開で鑑定会をするというのは異例なことだと思いますが、司郎さんが入れ込むほどのものなんですか?」
「その記事に、その『即売展』をプロデュースした人物が書かれているから探して見ろよ。」
「ちょっと待ってください...。え〜!」と驚いたような声を出した。
「・・・『即売展』の話を持ってきたのは、『珍品堂主人』のモデルで古美術品鑑定家の秦秀雄氏で、秦氏がリーダーとなって古美術商・米田政勝氏、蓑敬氏が陶器と書画500点を集めた・・・ となっています。秦氏と米田氏というのは、佐野乾山の重要な関係者じゃないですか」
「その通り。秦氏は、このHPに書いたようにホンモノ派の重要人物だし、米田政勝氏は、ハタ師の斎藤素輝氏から佐野乾山を最初に買い、その当時でも100点余も所蔵していたそうだ。ハタ師と言っても秦氏のことじゃないぞ。」
「くだらないオヤジギャグは止めて下さい。」

●真贋とは

「その二人が、何故、そんな贋作騒動を起こしたのかしら。昭和39年の5月というと、国会でホンモノ派に対する言論統制があった37年10月から1年半ですね。」村山は理解できないといったように小首を傾げて続け て言った。
「でも逆に考えると、そんな贋作騒動に関わるような人達が佐野乾山のホンモノ派の主要メンバーだったということになるのかしら...」
「おやおや、うちの秘書がそんな風に考えるようじゃ先が思いやられるな。」
「でも、司郎さん。あの白州正子さんが、『贋物のあるところ、必ず秦あり』と言っていることは有名ですよ。」
「じゃあ、聞くが『贋物』ってどういう意味だい? 『真贋』の定義自体あやしいものだ。」
「『真贋』の定義って...。本物と贋物という意味の以外に何かありますか?」
「それじゃあ『本物と偽物』の定義は?」 私は少し意地悪く聞いた。
「それは簡単な事です。美術作品に限って言いますが、『本物』とは、その作者が作ったもの。『贋物』はそれ以外のもの、です。」
「おいおい、うちで何年秘書をやっているんだい? そんな素人みたいな事を言わないでくれ。もし『本物』と『偽物』の定義が本当にそうであれば、どうして『佐伯祐三真贋事件』や『佐野乾山事件』が起こったんだい? 現在、佐伯祐三作品は、妻である米子の加筆品が真作とされているし、森川氏が9割方偽物と言った乾山が真正乾山と言われているんだぜ。俺は、現在の佐伯作品や乾山が真作とされても、ある程度は良いと思っている。問題なのは、本人が作ったと思われる作品が贋作とされていることだ。」
「え? 分かりません。それじゃ『本物と偽物』の定義はどうなるんですか。」
「今日は時間が無いから説明するが、『本物』というのは、業界に流通させて良いと許可がおりたもので、『偽物』は流通を禁止されたものだ。この場合、本人が製作したかどうかなんていうのは、一切関係ない。これは美術品に限らない。お札だって同じだ。日本政府が認めれば中国のお金だってニセ札だって本物になる。そう考えれば、白州正子氏が言ったことは『業界が認めていない本物あるところ、必ず秦あり』というべきだ。」
「う〜ん、確かにその定義は納得できますね。でも、それと先ほどの白木屋の話と何が関係あるんですか。」
「あのな、村山。贋作騒動なんてものは、自然に発生するもんじゃないんだ。必ず仕掛け人がいるんだ。例え ば、乾山だ。この川越に限らず、どこの骨董市でも必ず1個や2個の乾山が出されている。もちろん 、本人が作ったものであるはずはない。しかし、骨董市で本来の意味での『偽物』が出品された事が新聞報道された事があるか? 少なくとも俺は見たことがない。これは何故だ?」
「それは...。動くお金が小さいから...?」
新聞のベタ記事には数万円、載せる記事が無いときは、数千円の窃盗の記事だって載る事がある。それ なのにニセ乾山が例え数十万円で売られていても記事にはならないぜ。」日ごろの鬱憤ばらしに、少し意地悪く言ってやった。
「じゃあ、もう一つの例を出そう。何年か前に、あるコレクターが集めた中国陶磁器の一大コレクションの展示会があった。これは中国の宋時代から清朝までの官窯を展示したもので、なんと汝窯や豆彩、桃花紅などすばらしいものが揃っていた。もし、これが本物であれば日本の美術界に相当なインパクトを与えるものだ。しかし、落合先生が開催した岸和田の時のような贋作騒動は起きなかった。それは何故だと思う?」
「それは...本物だったからですか?」
「それはあり得ない。もし、本物だったら従来の陶磁図鑑を書き換えるべきものがたくさんあるはずだ。しかも、この展覧会は美術関係の本や雑誌では完全に無視されていた。とても本物の扱いではない。」
「そうなんですか...じゃあ、どうして...」
「さっきも言っただろう?贋作騒動には仕掛け人がいるって。佐伯や岸和田の場合は、業界が許可していない『本物』が認知され、放置していると市場に流通しそうになったから、それを阻止するために仕掛けたものさ。その仕掛けにはだいたい決まった新聞が使用される。まあ、岸和田の場合は有名なキャスターである東久留米ひろしの報道番組が利用されたけどな。一般の人は、新聞やTVの報道は『真実』を伝えるものだと思っているから、すっかり騙されてしまうことになる。俺は、贋作騒動と聞くと、まず本物ではないか?と疑って見ることにしている。」


●贋作騒動の真相

「司郎さんは、この魯山人の贋作騒動も、疑っているんですね。」
「これを読んでみろよ。俺が尊敬する、著名な美術評論家である松浦潤氏の書いた『真贋・考』という本だ。この魯山人の件に関しても解説してある。松浦氏は、この本で吉薗佐伯の件や佐野乾山に関しては首を傾げるような事を書いているが、この魯山人に関しては...

ところが古美術の専門家の間から書は半分以上、陶器は2〜3割はニセモノではないかとの噂が高まり、驚いた白木屋は急遽店の信用にかかわる重大事として、ニセモノを買いもどすことに決め、審議の判定には魯山人作品鑑定会を作り処理することになった。
内密に処理するのではなく、公開の場で専門家に鑑定を依頼するという対応は、信用を第一とするデパートでも異例なもので、こうした事件としては極めて珍しいケースと言える

・・・というように、賢明な読者が読めば分かるようにヒントを散りばめた書き方をしている。ここで考えるべきことは、『何故、公開の場で鑑定を実施したか』と更に、『誰が何のために仕掛けたか』という事だ。松浦氏が示唆するように、普通はこの手の話は、見えない所で処理されるべきものだ。更に、この新聞の切り抜きで気になるのは、『白木屋は陶磁愛好家や古美術業者から事情をきいていくうちに、ことの重大さを知った』という記述だ。これって、どこかで聞き覚えはないかな? 」
「確かに、岸和田事件の時と似ていますね。」
「だいたい、陶磁愛好家の意見で白木屋が動くか? 俺だって自称陶磁愛好家だが、例えば俺が知り合いの古美術業者と一緒に白木屋に出向き『今、おたくでやっている作品展は贋作ばかりですよ』と話をしたって、『話は分かりました。こちらで調査してみます』と言われて終わりだ。そんな事にいちいち対応していたら、いろんな所でやっている展覧会はすべて新聞ネタにしなければならなくなる。」
「ということは、白木屋が動くほどよっぽど影響のある人達が動いたということですね...。司郎さんとは違って。」とニヤリと笑った。
「余計なことを言うな。影響の大きい「陶磁愛好家や古美術商」をいう観点で考えてみろ。佐野乾山事件でさんざん学習しただろ。」
「あ、もしかして大和陶磁協会ですか?」
「それ以外に考えられないだろう。しかも、再鑑定した鑑定委員が大和陶磁協会の常任理事である白田領事氏と元魯山人工房の主任技師と支配人だ。よく考えてみろよ。秦秀雄氏は目利きとして知られている上に魯山人が経営していた港区の料亭、旧星ヶ岡茶寮の支配人をしていたこともある人だ。 魯山人を知り尽くしていると言ってもいい、いわば魯山人に関する第一人者だ。その人が選んだものに対して、何で再鑑定が必要なんだ? 俺がこの事件を怪しいと思ったのは、白田氏が『(再鑑定に関して) うらまれるいやな仕事だが、芸術品のスジを通すために、良心にしたがい、いけないものはいけないと、はっきりいうつもりだ』という発言を読んでからだ。この発言と似たようなものを聞いた覚えがあるだろう。」
「え?...どの事件ですか...。いろいろあり過ぎて分かりません」
「じゃあ、ヒントを出そう。佐伯関係で覚えがないかな。」
「あ! もしかして日本美術クラブの三山会長の『業界を守るために鑑定しており、鑑定結果には自信がある』という発言ですか。」
「ビンゴだ。両方に共通しているのは、真実を明らかにするというよりも、業界を守るという気持ちが込められていることだ。多分、本人も言っているように『いやな仕事』を任されたので仕方なくやったのだろう。」
「でも、白田氏の『芸術品のスジを通す』というのは、真実を明らかにするという意味じゃないんですか。」
「辞書を調べてみると分かるが、『スジを通す』とは、『ことの首尾を一貫させる。道理にかなうようにする。また、しかるべき手続きをふむ。(国語大辞典(新装版)小学館 1988)』とある。実真の追求とは関係ない。大和陶磁協会が、それ以前から真実の追究をやってきたというのであれば、その意味になるがね。」と笑いながら言った。
「つまり、秦さんが陶磁協会のいうスジを通さなかったから、この事件が仕組まれたという訳ですか?」
「結論から言うとそうなる。あくまでも俺の仮説でしかないがね。ただし、これは目的の一部でしかない。本当の目的は、氏、米田氏の佐野乾山関係者の評判を貶めることにある、と俺は読んでいる。秦氏はこのHPにもあるように、永仁の壷事件や佐野乾山が話題になった頃、頻繁に大和陶磁協会を批判している。しかも、当時の芸術雑誌である芸術真相がよく掲載したと思われるような激烈な批判だ。陶磁協会としては、反撃のチャンスを狙っていたはずだ。佐野乾山のホンモノ派である、森川氏、林屋氏、藤岡氏などに対しては、例の国会での言論統制を仕掛けたことにより、まず反撃してくる恐れはない。問題は、業界内でまだ元気でいる秦氏の存在だ。今は大人しいが、いずれまた反論してくる可能性があるから、大和陶磁協会のメンバーは戦々恐々としていたはずで、何とか仕掛けるチャンスえを狙っていたはずだ。そして、そのチャンスがこの魯山人展だ。この贋作騒動を大々的に新聞報道すれば、秦氏、米田氏の信用は地に落ちる。」
「あ! だから、白木屋での公開鑑定になる訳ですね。」村山は納得したように頷いた。
「単に新聞に載るだけではインパクトが弱い。松浦氏が『異例な』、『極めて珍しいケース』と表現した公開鑑定はこれが目的だったのさ。おそらく大和陶磁協会が白木屋に対して、

  • 出展品に贋作が混じっている。
  • これは大きな信用問題になる。
  • お店の信用を守るためには陰で処理するよりも、新聞などで公にして身の潔白を証明した方が良い。
  • それには公開鑑定が良い。鑑定人はこちらから出す。

と持ちかけたんだろうな。
その結果、大和陶磁協会の目論見通り、秦氏には『贋物のあるところ、必ず秦あり』というありがたくない異名が付き、米田氏はこの事件をきっかけとして古美術業界の一線から姿を消したって訳さ。」

(本文は、あくまでもフィクションです)



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