●佐野乾山に関する真贋論争


●新聞、雑誌等での論争

真作派

贋作派

作品に対する評価 バーナードリーチ氏 (イギリスの陶芸家)
   これは、素晴らしい!とても現代人にこれだけのものを作ることは出来ない。ニセモノ説があると聞いて驚いている。彼の初期の作品と同じようにのびのびしている。

藤岡了一氏 (京都国立博物館工芸室長)
   乾山を見直した。いままでの乾山研究を再考する必要がある。乾山の代表作。(同室の技官全員が佐野乾山と断定) 佐野乾山のそうした絵画性を、より美しく微妙に表現するための支えは、彼独特の工夫になる<下絵付けの技法>である。下絵付けによる色絵付けによる色絵陶磁器は、じつに乾山にはじまり、乾山をもって終息すると言っても過言ではあるまい。

森川勇氏 (収集家)
   見事な出来栄えにほれこみ、つぎからつぎへと買った。
(作風に関して)
1.絵の<筆致>が「真正乾山」と違うと言うが、「真正」の基準は何か。
2.乾山が京都在住中の作品にのみ入れた「洛中」の<銘文>は、彼が佐野にあって生地の風土を偲び、”望郷の詩人”として京都の夏を思い「洛中の夏 天下に魁」と讃を誌したもので、むしろ当然すぎると言うべき。

森川勘一郎氏 (古陶磁鑑定ではわが国第一人者:森川勇氏の父)
   こんな立派なものが、どうしていままで発見されなかったのか。

林屋晴三氏 (東京国立博物館)
   まちがいなくいいもの(ホンモノ)。

青柳瑞穂氏 (乾山研究家、作家)
   おびただしい乾山の群集をみて、ありていに言えば、わたくしは目をみはらずにはいられなかった。同時に呆然とせずにはいられなかった。疑念はどうしてもわいて来なかった。

小林秀雄氏 (作家)
   ギブツの臭いなんかしないじゃないの...。

水尾比呂志 (武蔵野美術大助教授)
   乾山もまた、佐野のウメの絵において、かれの芸術の極地に達したということができる。(世界美術全集・9に佐野乾山を収録)

岡本太郎氏 (芸術家)
   2つ3つと見るにつれ、なかなかイイジャナイカ。色が鮮やかなハーモニイで浮かび上がっている。筆捌きも見事だ。(略)気取りやポーズ、とかくやきものに見られる枯れた渋み、いわゆる日本調みたいなものが無い。(略)たとえニセモノだって、これだけ豊かなファンテジーの盛り上がりがあれば、本ものよりさらに本ものだ。

◎その他の真作派
米沢嘉圃氏 (京大美術史)
吉竹栄二郎氏 (京都工芸指導所)

山田多計治氏 (元大阪機械製作所社長)
   森川氏の持っている乾山はニセモノだ。ホンモノで通すと数億円にもなる。早く真偽を正すべきだ。

加藤唐九郎氏 (陶芸家。"永仁の壷"の作者)
   いい悪いは主観で、しょせん「・・・と思う」程度だ。乾山陶器をぼくに作ってみろ、と言えば作れる。陶器が出たという旧家を徹底的に調べる以外にキメ手はない。

藤田藤七氏 (ガラス工芸家)
   色が多くてソウゾウしいのに驚き、かつ薄汚いのにも驚いた。(中略) どれも欲しくない。(中略) 私は私の乾山のイメージをこわされた。

福田力三郎氏 (陶芸家:京都新匠会)
   ろくろ・型ともに職人が機械的に無感覚に造ったもので、乾山の成型とは較ぶるべくもありません。粘土は(略)瀬戸・信楽の土と思われます。紅梅絵に使った紅は、佐野乾山時代には発見されていなかったものです。

清水六兵衛氏 (京都 日展)
   あの描きかたのシャゴシャゴした点、釉薬の薄っぺらな点、あるいは梅に使用したエンジ色、あるいはエナメルのような朱色など、明治以後の科学染料のように思われます。

川端康成氏 (作家)
   ニセモノと見る私の印象は、きわめて簡単明白である。絵が悪い。書が悪い。騒々しくて品格が卑しい。器の形も悪い。ここで悪いというのは、乾山のものとはちがう、乾山のニセモノであるという意味よりも強い。乾山であるかないかより、それ以前の否定である。つまり、誰の作であろうと芸術品として「悪い」のである。(略) 乾山ほどの人には、こんな劣弱粗雑な絵はできるはずがないのである。

富本憲吉氏 (陶芸家)
   絵のコンポジションが狂っており、ひと目でダメだといった。乾山研究をすすめるには色絵の研究をしなければならぬが、リーチ氏はその点が甘い。また、日本の古美術界の内幕も知らない。

◎その他贋作派
荒川豊蔵 (陶芸家)
石黒宗麿 (陶芸家)

手控えに関して 山根有三氏 (東大助教授:乾山、光琳の研究者)
   森川氏の持ってこられた乾山の覚え書きはホンモノだ。しかしやきものが良いか悪いかは別の問題である。

森川勇
1)仮名使いや文法上の誤りについては、乾山在世中には正確なものが未だ定められていなかった。
2)季のない俳句は、芭蕉の作品にも見られる。稚拙というのは、俳句を佐野に来て始めたばかりの乾山の素朴さに由る。


佐藤進三氏、黒田領治氏、小森松菴氏、久志卓真氏、磯野信威氏
   (日本陶磁器協会理事)
1)当時は旧暦なのにいたるところに太陽暦が出てくる。たとえば「元文初夏六月」の一節、初夏とは旧暦四月の別名である。はっきり「六月」と書いた一枚にアジサイとツバメの絵があり”初夏の水面にうつすあで姿いろとりどりにきそうあじさい”の歌がある。これは太陽暦を読んでいる。
2)歌や俳句が多いが季がよみこまれていないものが多い。
3)手控えに「土井大炊頭老中」という人物が出てくる。乾山が佐野にいたときには、彼は国を離れていたはず。
4)一部に新かなづかいが使用されている。
5)一冊の手控えに疑問点が百ヶ所以上も出てきた。

山田多計治氏 (乾山の書の研究家)
1)大和文華館(奈良)にある乾山の江戸伝書、その他と比較して風格にとぼしく、かなのつづり方にも間違いがある。
2)「八ッ橋」の角皿「洛中夏魁天下」とあるが、佐野での作陶に洛中とは何故か。

松島明倫氏氏 (乾山の<銘>の研究家)
1)乾山は、陶隠、陶工、陶春などの銘を使ったが、佐野作陶の阿偏くずし字の筆跡には疑問がある。
2)新発見の皿に、「禅門末弟陶工陶隠・・・・」とあるが、銘を二つ続けるはずがない。

奥田直栄氏
1)手控えの随所に見られる「虫食いの穴」をわざわざよけて、文字が書かれている。
2)「もろもろの諸行・・・・・」と、ダブり表現は不審。
3)「・・・・・みそかの月のさえにけるかな」と和歌がよまれているが、明治以前の陰暦では「みそかの月」はあり得ない。

加瀬藤圃 (水墨画家でかな文字研究家)
1)晩年の乾山のかなは正面体(筆をまっ直ぐにおろして書く書体)で格調が高く、筆法も鋭いが佐野乾山は側面体(筆をねかせて書く)で狭く長く、もじはふところの深さを持たない。
2)書法は、単独体と連綿体の違いという決定的なものを持っている。特に、「の、さ、う、た、に、ほ、す」など全く違っている。
3)誤字、筆順の違い、乾山が一生使わなかった文字まである。
4)手控えは中国の拓本を裏打ちした画箋紙をはずしてそのまま使っている。




●昭和37年4月15日の日本TVでの公開討論

(大宅壮一が司会)

贋作派

真作派

梅沢彦太郎氏(陶磁協会理事長)が質問
1)絵付けが、初代乾山と一致していない。
2)画賛の書体が、初代乾山と異なる。
3)佐野付近の旧家から出たという事実が無い。
4)佐野乾山は、9割まで新しい箱に納められてあり、いわゆる「シダイ」が悪く納得できない。
5)新発見の手控えは、初代乾山の筆跡ではない。
森川勇氏が答える
1)絵はすべて同じ作風
2)書体も、80余歳まで生きた乾山は、年齢と共に変化している。
3)出所については、松島明倫なる人物が策動しているので、新たに譲った旧家の人々に迷惑がかからないように伏せている。
4)箱は、ある。全部ではないが、古い立派な箱がある。
5)上記2)と同じ。
小森松菴氏が質問
言葉使いに現代仮名遣いがあり、万葉仮名が殆ど使われておらず、バビブベボには半数例以上濁点が付けられている。
森川勇氏が答える
専門的な調査を依頼中で、まだ全面的な回答は得ていない。

         


(Since 2000/06/03) 佐野乾山に戻る