山本如仙の作品
山本如仙氏に関して書かれた「炎一筋 乾山と山本如仙」(平成5年発行)を入手しました。
この本は、「佐野乾山事件」の時に贋作派の立場で報道を行っていた毎日新聞の元編集委員である山口光介氏が書いたものです。氏はその巻頭に、
佐野乾山事件以来、約30年も歳月が経ち、真偽論争にかかわりあった多くの人達が、古美術界の第一線を退き『佐野乾山事件』は風化しつつある。 それをいいことに、最近の空前な古美術ブームを黙って見逃すはずがなく、地中に埋まっていた『佐野乾山』が再び、こっそりと頭を持ち上げ、愛陶家の目の前にちらつき出した。 このまま放置しておいては、後世に『佐野乾山』がホンモノとして堂々とまかり通り、日本の古美術史に大きな汚点を残すことになるだろう。 『幻の名陶・佐野乾山』の動きには、いつまでも厳しく目を光らせていく必要がある。 |
と書いています。実際、本書には、
光悦集(平木清光著『光悦の芸術』昭和34年5月15日発行)や他の美術書に、山本さんの作品が「乾山壮年の作」として載っているのを見つけた。 「これは大変だ。自分の作品が、本物と間違えられるのは嬉しい。だが、自分の作ったものが売れさえすれば、後はどうなってもいいというようなものではない」と考え、何日も名乗り出ようかと迷いに迷った。 「やっぱり・・・」と、決意した山本さんは、昭和37年2月上旬、毎日新聞犬山通信部を訪れた。(中略) そのうち突然、山本さんは「今ホンモノにされ、出回っている佐野乾山の作品は、私も作った」と意外な告白を始めた。(中略) 3月4日の夕方の毎日の一面トップ記事を見て驚いた。山本さんの告白が「『乾山』は私も作った」「犬山の山本氏が告白!」という大見出しが踊り、紙面をでかでかと飾っていた。大スクープだった。 山本さんの告白は、「私の作った作品が、ホンモノの『乾山』として、美術書の図録にもり、しかも巨額な金で売買されている。最近、佐野乾山が大量に出回り、急に乾山ブームとなって、私はニセモノ乾山づくりと一部から言われ出した。心外なので、すべてを明るみに出したい」と、古美術界のカラクリを明るみにしたものだった。 |
と書かれています。しかし、よく考えて見るとおかしな話です。同書には、「昭和35年2月、京都の古美術収集家、森川勇氏は、東京の古美術商、米田政勝方で、佐野乾山を見つけた」と書いてありますから、少なくとも上記昭和34年5月に発行された光悦集に佐野乾山が掲載されているはずはありません。また、乾山が佐野に行った時期は「壮年」ではなく「晩年」のはずです。
となると、これは逆に、当時の「真正乾山」といわれていたものの中に「如仙乾山」があったということを証明しているのではないでしょうか?(森川氏の「真正乾山の9割方はニセモノ」という説の裏づけになりますね)
ただし、「佐野乾山」の中にも当然贋作も混じっているでしょうから、その中に「如仙乾山」が混じっている可能性は否定できません。しかし、少なくとも森川氏が所有しているものの中にはその類のものは無かったと考えます。
また、本書には松本清張氏が如仙氏に取材をして、芸術新潮誌に「泥の中の佐野乾山」を書いた、と紹介されていますが、松本氏の書いたものを読んでも如仙氏の事はほとんど書かれていません。これは、松本氏も如仙氏は佐野乾山には関係なしと判断した結果と考えられます。
本書に掲載されている、「如仙乾山」を紹介します。乾山写しとしては、非常に素晴らしい作品だと思います。