「青柳瑞穂の生涯」 − 真贋のあわいに青柳いずみこ著


最近発売されたこの本は、詩人でフランス文学者で古美術蒐集家であった青柳瑞穂氏の孫が瑞穂に関して書いたもので、「佐野乾山」に関しても多くの記載があります。

この本の中の指摘の中で重要なものは、
「佐野乾山事件」の当時、乾山の研究はほとんどなされていなかった。
→ 「佐野乾山」を贋作として攻撃した陶磁協会の乾山にしてもきちんとした鑑定がなされていた訳ではない
⊃浩郢瓩蒐集する1〜2年前から瑞穂氏が「佐野乾山」を蒐集していた。
森川氏所蔵の「佐野乾山」を蛍光X線分析を行い、乾山の時代に使われていなかった釉薬が検出されていた。
この中で特には重要なポイントです。もしこれが事実であれば、この論争は終わりとなってしまいます。
この科学鑑定の結果は破棄されてしまっているとの事なので、是非追試を行って欲しいと思います。

1)鳴滝乾山との出会い

昭和29年瑞穂は鳴滝乾山を京都三年坂の藤本骨董店で鳴滝乾山と出会います。瑞穂は、その当時、乾山研究はまったく進んでいなかった事を書いています。

「乾山の名は、今日でこそ知られ、その作品も世に多く出て、理解されてきたが、ほんの数年前までは、まったく闇夜につつまれているありさまだった。乾山が、兄の光琳と共に有名であることは、今も昔もかわりないのだが、そのくせ、乾山の作品―特に彼にとって重要であるべき陶作品が、ほとんど無視されていたというのは、専門家たちの不勉強もさることながら、ただ不思議というほかはない。(中略)昔から誰いうことなく、乾山の本物は数点しかなく、それも兄光琳との合作に限られているのだそうだから、やきものの愛好者が、これを一種のタブーとして、手を出しかねたのも無理なかろう。かく申す筆者の如きも、光琳にはたえず関心をもっていながら、しかも大のやきもの好きでありながら、乾山にはまったく無関心であった。乾山など世にあるとは思ってもいなかった。その僕が、いきなり、その乾山に飛びついたのである (『掘り出しということ』)」

「・・・ 店主は瑞穂が座るやいなや、かたわらから粗末なボール箱を取り出した。それは、ワイシャツをいれるような薄い、平べったい箱だったが、中から滑るように出てきたのは、目のさめるばかりの四角い皿だった。『もう十年以上も前の印象をここに語るのは困難だけれど、タテ32センチ、ヨコ26センチくらいの、比較的浅い、大きな皿の一面に、草花が ― よく見れば桔梗の花が、皿の外まではみ出るばかりに描かれているのである。色彩は、セピヤと緑と紺青が入り乱れている。葉っぱがセピヤと緑、花が紺青である。色彩といったところで、これは紙の上ではなくて、セトモノの上のことであってみれば、いずれも上釉なのだから、ピカピカ光っている。だからこそ、私も目くらむ思いがしたのだろう。』(『あるコレクターの告白』)」

2)佐野乾山に関して

驚いたことに、瑞穂氏は森川氏がを蒐集し始める1,2年ほど前から「佐野乾山」を蒐集していたそうです。

「その前に佇んで、私は思った。もう有名な鳴滝など自分の手におえなくなるだろう。もうあきらめるよりほかあるまい。それよりか、これからは佐野乾山だ。佐野乾山はまだ人に知られていないだけに、ひろいものもあるだろう。それに鳴滝には見られない、かくされた別の美しさもあるようだ。それを掘り下げよう。そう私は思わずにはいられなかった。そして、これが11月のこと、ところが12月の終わりには、もうその佐野乾山が私の家を訪れることになり、以後、たいへんなことになったのだ。(『鳴滝乾山の色絵皿』)

「しかし、かんじんの真贋問題について彼は、「わたくしの先ごろ見た『佐野乾山』が、はたして乾山の真物であるかどうか、まだ専門家のあいだでは確定していないそうである。手控え帳は真物だが、やきものの方は分からない、では困るので、充分に双方を比較研究したうえで、答えを出してもらいたいものである。(中略) 土質や釉質の科学分析も窯業研究所ですすめられていると聞いているが、土や釉の時代が科学的に証明されるものとしたら、これほど信頼のできることはないであろう。また、この機会に、こういう研究も活発になってもらいたいものである。」

3)真贋論争に関して

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昭和16年11月に篠崎源三が滝沢家で発見した陶器は陶磁協会から真作と認められており基準品となっていたが、それも科学的に鑑定されていたわけではない。篠崎の著した『佐野乾山』(昭和17年4月)から

「昭和16年11月28日、この日こそは佐野乾山発見の記念すべき日である。(中略)
私は主人の籠招に預かり、豪雨を衝いて午前11時頃同家を訪れた。お城のような豪壮なる大邸宅である。いかにも乾山の名品が安全に保存されていそうな旧家である。席に通されるや、主人は挨拶もそこそこに先ず以って伝書を示された。西内紙2つ折に認められたものの、更に2つ折りにたたまれた相当分厚な冊子である。
『他見不詳、陶器伝書、紫翠深省、紙数3拾枚』
と表紙に認められている。一見乾山の自筆なることは明白である。私は名状し難い威圧を覚え、指頭の震きを禁じることができなかった。(中略)
その銘には『佐野天明留連日応大川大人之見、乾山老翁造之』とあるから、多分鮑貝と同時に作ったものであろう」

この銘の『老』の字がクセ物である。否定派の加瀬藤圃は、『佐野乾山』に決着を・・・(芸術新潮 昭和49年9月号)の中で、佐野乾山では「老」の字が現代漢字になっているが、真正乾山は古字しか書かなかった、よって乾山は真作ではない、と判定している。もしその論に従うとすれば、陶磁協会が真正と認めた滝沢家の所蔵品も贋作になってしまう。

陶磁協会の対応
これに関して松本清張は「芸術新潮」のレポートで、陶磁協会側がなぜ森川の佐野乾山だけを攻撃するのか不思議だ、と書いている。

「現在、新発見の佐野乾山を除いて、いわゆる『乾山』と称せられるものが300点以上出回っていると思われる。が、これが陶磁協会側の会員の手から所蔵家やコレクターに納められたり、また業者の所蔵になったりしている。一体、真正乾山なるものが300点以上もあるものだろうか。これらの乾山ものについての真贋論議が陶磁協会側では全然なされていない。なぜ、彼らの持っているものに協会は批判を加えないのか。会員や仲間のものならみんないいとでも思っているのか。」「泥の中の『佐野乾山』」

2奮慂析の結果

当時、東京工業大学助手であった加藤誠軌が、森川の依頼で、森川所蔵の任意の数点からいろいろな色の部分を十数箇所サンプリングし、蛍光X線分析した。
「当時のXRF装置は大きな物体は測定できなかった。そこで、木綿針を数本束ねて焼き物を啄木鳥のようにつついてごく少量の上絵具を採取した。傷跡は漆と顔料で補修した。昔の顔料と現代の顔料を数十種類用意して、それらを標準にして定性分析した。(中略)佐野乾山の絵具の顔料は非常に純粋で、昔はあるはずがない顔料も検出した。分析結果はM氏に伝えたが公表はしなかった。著名人士を巻き込んで賛否両論が国会まで持ち出された『佐野乾山』は偽物であることがこの方法で科学的に証明された。」(『X線分光分析』(平成10年、内田老鶴圃)

加藤の分析は、真正とされている陶器との比較検討ではなかったが、蛍光X線分析で不純物の含有量を調べれば、基準作との比較がなくても原料中の不純物の成分を調査すれば、その不純物の量で明治以降に使われた工業顔料であるか乾山時代のものであるかどうかは判別つくそうである。

*この科学分析のいい加減さは、別項にまとめてあります。        


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