乾山の黒楽茶碗について

ウィルソン氏に異を唱える


住友慎一先生の「光琳・乾山関係文書成」という本の中でウィルソン氏を批判しています。

・・・最近L・ウィルソン氏が「尾形乾山 全作品とその系譜」という本を出版している。この中でウィルソン氏は佐野乾山は贋物であると結論づけているが、氏は佐野での乾山の書付や作品をあまり見ておられないようで、また日本の古文書についての理解も不十分と思われる個所があるように思われる。(中略)
 ウィルソン氏は楽焼について、「乾山が黒楽茶碗の制作をおこなったか否かについては疑問がある。伝書のなかにも赤白楽の陶法は記述したが、黒楽については断り書きを認めている」と述べ、黒楽のほとんどの作品を猪八か最近の偽作という見解を示している。


この断り書きというのは、「
佐野陶法伝書」にある記載で、

最後の記述だけを読むと黒楽はやらなかったとなるが、于今(今より)とあり、乾山に黒楽を作って欲しいと人々から頼まれたが、それは楽本家相伝のものなので楽家を差し置いて作るのは差し障りがあり楽家に頼んで下さいと記しているのである。そして黒楽の造り方は書かないと記して、今からは黒楽をつくるのは止めたと書いている。


つまり住友先生は、乾山は「佐野陶法伝書」を書いた時に(今より)黒楽は作らないと言ったのだから、それまで(鳴滝−丁子屋‐江戸入谷時代)は黒楽を作っていたと主張しているのです。ですから、ウィルソン氏がすべて猪八作や贋作とみなしている黒楽茶碗の中に乾山作のものがあり、それを見分けるには器形や絵付けの芸術性で見なければならないと書いています。

私も同じ意見です。

ウィルソン氏の説では、乾山は楽家本家に遠慮して黒楽は焼かなかったとしていますが、それでは「なぜ二代目乾山である猪八は黒楽を焼くことができたのか。」、という事に関して何も説明がないからです。
乾山が「
佐野陶法伝書」を書く以前から楽家に遠慮して黒楽を焼いていなかったのであれば、当然二代目乾山である猪八にもきっちりと伝えたはずです。
乾山の正当な後継者である猪八であれば、初代と同じように楽家に対して同様の遠慮があったはずです。


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