国会文教委員会での議論
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*昭和37年2月14日第40回国会文教委員会
*昭和37年4月18日第40回国会文教委員会
*昭和37年10月29日第41回国会文教委員会小委員会
本項は、現在の日本陶磁協会を批判するものではありません。 あくまで、40年前の事実を明らかにする事が目的です。 |
●永仁の壷事件での高津委員の発言
●佐野乾山事件での高津委員の発言
*昭和37年2月14日第40回国会文教委員会
高津委員 | ここに一点につき百万円に近い価格を持つといわれる乾山の古陶器があって、しかして偽作は容易なりという実情がある場合には、にせものを作ってほんものなりとして売って、不当なる利益を得ようとする者が現われ、またそのにせものであることを知りつつ本物なりとして売買して不当な利益を得ようとする者も出現する道理であります。以上のようなことを考えて私は御質問申し上げるわけです。 第一点、尾形乾山の作品は、わが国の世界に誇り得る定評ある古陶器であって、今日新発見の二百数十点の真偽が長期間にわたって判別されないままでいるという現象は、わが国の有する古陶器鑑定力がいかに未熟で、未発達の状態にあるかを世界に知らしめる結果を招くに違いありません。それは国際的不名誉であります。この点から政府は直ちに本問題解決のために乗り出して、しかるべき措置を講ずべきであると思いますがいかがでしょうか。御見解をお伺いします。 |
清水政府委員 | ただいまいわゆる佐野乾山作と称せられるものが突如数百点世の中に出て、そしてその真贋について各方面において議論の的になっておるというお話でございました。しかも尾形乾山は大体今までわかっておりまする点数が二百点くらいであったにもかかわらず、こういうものが出てきたということは、今まで一体どういうことをしておったのか、(中略)事実これが一部の人が言われる通り佐野地方の旧家の倉深くしまわれておったということになると、その真偽は別といたしましても、これは今まで調査が不十分というにはちょっと無理なのではなかろうか。現に日本は世界でも御承知のごとく社寺にいまだに門外不出の未調査のものが相当あるのでございまして、この点はすみやかに調査いたさねばならぬというわけから、本年も実は総合調査を、たとえば延暦寺とかいうものについていたしたいと思っておるのでございますが、今まで旧家に奥深くしまわれておった、それが事実としたならば、そのものがはたして乾山であるかないかは別といたしましても、やむを得ないのじゃないかと思います。しかしそれについて巷問いろいろの論議がありまするが、国が、しかも文化財保護委員会が乗り出しまして、ここで真偽を鑑定するということがはたしていいのかどうか。これは価値問題であり、学説、学者の問題もありますので、私どもといたしましては、これを広く公開をいたしまして、いわゆる乾山の作品がたくさんございますが、それとも一緒に公開をして、そうしてこの焼きものの歴史でありますとか、あるいは焼きものの技術あるいは文様でありますとか、そういうようなものを比較考量して、一般天下の人々に見ていただいて、そしておのずからそこに帰するべきものが、結論が出てくるのではないかと思っておるのでございまして、今直ちに文化財保護委員会が乗り出してその鑑定をしていいとか悪いとかいうふうに考えて、そういうことをいたしたいとは思っておりません。 |
高津委員 | 第二にお尋ねいたしますが、現在の本物説とにせもの説の勝敗を自由なる論争の推移にまかせて、結局誤った結論に達し、売り手買い手のいずれの側にせよ、莫大な利益または損害を与えた場合、また後に至ってさらに今出た結論がくつがえった場合、売買当事者の利益と損害は今度は逆になるわけです。今回の真偽論争を見るに、一つの重大なる特徴が看取されます。すなわち本物説の主張者の中には実に多くの文部技官が含まれておることであります。これに反してにせもの説の主張者はほとんどが在野の人であります。そこでお尋ねいたしますが、国の給与を受けて古美術を研究し、鑑定し、保護策を講ずる文部技官は、その主張が誤っていた場合に、この佐野乾山事件の責任をとる必要はごうもないものだとお考えでしょうか、また責任をとるべきだとすれば、その程度なり形式なりはいかようなものであるのですか。これが第二問です。 |
清水政府委員 | 博物館あるいは文化財研究それ自体は一種の研究機関でございまして、それぞれの技官がいろいろの自分の調査研究に基づいて個人的な意見を発表したのがただいまのお話となったと思うのでございますが、これはあくまでも博物館、研究所、あるいは文化財保護委員会としての発言ではなく、美術に関する一研究の立場からの発言と考えている次第でございます。 それから私どもが内々調査いたしましたところによりますと、いわゆる佐野乾山と言われております数百点のものが、はたして、佐野乾山作であるかないかは別といたしましても、これは非常におもしろいものだ、これはおもしろくないものだということがあり得たろうと思うのでございまして、これは非常におもしろいものだというものにぶつかると、その研究技官は、これは非常にけっこうでおもしろいと言われたに違いないと思うのでございましてこれが公式の意見として、もし文化財保護委員会あるいは博物館あるいは研究所としての意見として発表した場合、後いろんな意見がもし出てきた場合にはこれは別でございますが、今日までは各個人の研究の結果を個人的な立場から発言したものである、と私どもは考えている次第でございます。 |
高津委員 | 今の第二問についてもうちょっとお伺いいたしますが、博物館は研究機関であるから、博物館やまた研究所の人が研究の結果の個人的見解を述べたにすぎないので、文化財保護委員会の発言ではない、こういう御意見を承ったのでありますが、前に永仁の壷の問題があり、それからいろいろな事実が、たとえば毎日新聞でいえば三回も詳報をしている。第一回を見ても非常に発言を慎まねばならない事態だと思いますが、それなのに次から次へずっとその見解を支持してこられたのであって、これはやはり個人的見解を述べるといっても影響するところが非常に大きいのですから、その発言は非常に穏やかでないと思います。文化財保護委員会の意見として発表したとか研究所の意見なりとして発表したというのではないが、個人的見解にしても、たとえば林屋晴三氏のごときは博物館の古陶器の第一人者であるかもしれません、そのように見られている人であるから、そういう国家の機関におる人が個人的見解をぼんぼんと出されれば、本物説がずっと勝つわけですよ。三、四日前までは本物説が勝っておったのですから。きのうに至ってそのにせもの説というのが、証拠がだいぶ出て、きのう活字の上ではひっくり返ったのですから、責任はないということが言えますかね。そんな官吏が、国の最高の担当関係者と見られている人間が、個人的見解だから、影響はどうあろうとも見解を述べるのはかまわないのだ――東京国立博物館は文化財保護委員会の下部機構でしょう。それで事務局長や文化財保護委員長は統率の責任ということはどうなるのですかね。 |
清水政府委員 | ただいまの高津先生の御指摘は、それは全くおっしゃる通りでございます。私といたしましては研究に従事している技官といえども、その発言が慎重でなければならぬということは全く同感でございまして、その点は注意を促している次第でございます。ただ、大へん言いわけがましくなって恐縮でございますが、この研究者として長い間研究をし、自分の信念に基づいて発表する場合、どの程度これを押えていくと申しますか、これは要するに私どもといたしましてはできるだけ慎重にするように、他に迷惑を及ぼさないようにと言っておりまするが、結局は本人の良識に待つ以外にはないと思うのでございますが、たとい個人的な意見だったとしましても、ただいま御指摘のように及ぼす影響が大きいということは、私として特に考えてもらわなければならぬと思いますので、今後その点は特に十分注意するようにいたしたいと思っている次第でございます。 |
*昭和37年4月18日第40回国会文教委員会
高津委員 | この佐野乾山なるものが二百点、三百点もたくさん出たときに、文化財保護委員会のあなた方の下僚の中で、これは本物なりというちょうちんをかついだといいましょうか、東西の両権威と認められておる――その東の権威というのは、東京国立博物館の林屋晴三さん、あれは陶磁室長でしょう、それから京都では美術工芸室長の藤岡了一氏、他にも名前をたくさん出しておられるが、そういう人が新乾山に対して、これはいいと言っておるわけです。それからバーナード・リーチを紹介して、連れていって、これはすばらしいと言わせたのも藤岡さんが案内役を勤めておるのです。それから森川さんを最初米政へ案内していったのは林屋さんなんです。すなわちみんな東西の両権威と認められる人が大いに動いて、これはいいものだと宣伝したのです。それは作品についてでありますが、今度はそれと表裏一体をなす関係にある佐野の手控帳なるものがたくさん出てきた。それに対しては東大の有名な、これを専門に研究しておる人が、これは本物だということを言われたわけです。そのくらい役所関係が本物説にみな回ったわけであります。 そこで問題はまだ残るが、出所がどうかということが一番大事なんです。私はある社の好意によって、きょう御出席の淡谷悠藏代議士、それから早くも勇気を持って、これはにせものだということを言われた山田多計治氏、――兵庫県の芦屋に住んでおられます、それから京都の加納白鴎氏は学者でもあり、制作者でもあり、こっちの大丸などで個展覧会などもやっておられる人だと聞いておりますが、そういう人と一緒に約二十点の現場の作品を見、そうして佐野手控帳も詳細に森川さんから説明を聞いたのであります。三時間以上でありました。それで、それが済んだあとで、私がまたその本物説をとっておられる有力な社の――社が違うのですよ。二人の方にきめ手は何ですかと、こう聞いた。その場合に第一は、「東西の両権威」という言葉は使われなかったが、東西の両権威がこの作品を認めておるじゃないか、本物説ではないか。第二は東大の助教授が文書を本物と認めているじゃないか。第三に、そんなに大量にできるかできないかという疑問があるが、それに対しては京都の工芸技術指導所の有吉栄三郎(?吉竹英二郎の間違いか:私見)という技師が証明しておるので間違いはない、問題は出所である。(後略) |
清水政府委員 | ただいま高津先生からまことに貴重な御意見をつつしんで拝聴いたしたわけであります。先ほど来申し上げました通り、私どもといたしましては、美術品というものの調査ということはあくまでも学者、専門家の多年にわたる貴重な研究、尊い経験に基づいて、そうして正しい鑑識が行なわれるということが本義でございまして、科学的調査は全くの補助的手段と思っておる次第でございます。従いまして文化財保護委員会といたしましては、指定物件ではありませんが重大関心を持っておりますけれども、文化財保護委員会そのものが活動するということはただいまのところ考えておりませんが、それぞれの技官は、それぞれの立場から調査研究しておると同時に、民間におきましてもその方面の大家、学者が現在甲論乙駁、いずれそのうちには帰すべきところに帰するのではないかと、深くこれを期待しておるような次第でございます。 |
高津委員 | どうもあなたの下僚の人が、初めあまり積極的に本物説で動き過ぎておられるので、それにけがのないように白黒を自分で出さないで――これはとても長い間果てしない議論になりますよ。この論争はずっと続きますよ。それで本気に調べるということになるときめ手が出るが、民間の論争にまかせておいたのでは両方とも長い間論争するので、あなたの方が乗り出さないのは下僚をかばうためではないか、こういう疑いを受けることはないでしょうか。 |
清水政府委員 | 文化財保護委員会事務局あるいは国立博物館あるいは文化財研究所にもそれぞれの専門の技官があるわけでございます。先ほど林屋晴三氏の話が出ましたが、林屋技官は東博の陶磁室長ではございません。陶磁室長は別に田中作太郎氏がおられるわけでございます。文化財保護委員会のそれぞれの専門技官も、それぞれの信ずる道によって進んでおるのでございまして、一部の意見にもいろいろありましょうし、いろいろ意見を持っておるのでございますが、それがまだ集大成して文化財保護委員会の意見というところまでいっておりません。それぞれの立場から真剣に自分の意見を発表し、これに対して他がまた批判をする。反対意見がまたある。世論の反対も受ける。またそれに対して学者的良心に従って自分の研究を発表するというところによって次第に研鑽が深められ、学問も進められ、しかる後にやがてはこの問題も帰すべきところに帰するんじゃなかろうかと私どもは信じておるような次第でございます。決して専門技官の研究をはばむとかなんとかというような気持はございません。それぞれの立場から活発にやっておることと思っておる次第でございます。 |
高津委員に比べて淡谷委員の見識の高さが光ます。 | |
淡谷委員 | 高津先生がこの前の委員会で質問され、またきょうも御質問されておりますように、やはりこの重大な文化財の研究調査については、文化財保護委員会としてももっと真剣に取り組まれた方がいいのじゃないかということを私も考えるのです。高津先生は永仁の壷でみごとあのにせの壷が発見できたものですから、またやっているのではないかというような疑いがあるようでございまして、裏返しして考えますと、永仁のつぼのにせと本ものを誤認するような文化財委員会の活動でございますと、逆に本ものをにせものととらえるというような危険性もあるのじゃないかというようなことも、これは検討の上ではやはり相当に強調すべき点だと私は思うのです。(中略)乾山が持っております独自の美術的な価値に対する関心もさることながら、一つ百万円という値段なんですが、これはやはり骨董界、陶芸界ではただならない問題だと私は思うのです。これがたくさん出てきた場合と少ない場合とで希少価値がだいぶ違ってくると私は思う。これはやはり国の機関としてはそういう利害得失を離れまして、純美術的な観点に立って徹底的に調査される必要があると思いますが、この点はいかがでございましょうか。 |
清水政府委員 | だんだんといろいろな御意見を拝聴いたしたわけでございますが、私個人の気持といたしましては、おとといの新聞でございましたが、この問題がとかく感情と勘定に巻き込まれ、そのカンジョウというのは心の感情それから金銭の勘定、そこにいろいろなマスコミも入っておりますし、これは学問の世界でございますから、冷静に、落ちついて、良心に従ってやっていくべき問題ではなかろうか。文化財保護委員会の事務局といたしましても、それぞれの技官がそれぞれの立場から真剣にこれを見ております。また考えてもおり、研究もいたしておりまするので、私はその方面の冷静なる判断と結論を期待いたしておるわけでございまして、決して私ども無関心でおるわけではないわけでございます。 |
淡谷委員 | その点においては私もしごく同感なんでございますが、ただ私ども、政治の世界でも圧力団体がありますように、美術界というものも非常な圧力団体があるように考える。おっしゃる通りまさに感情と勘定で、計算の勘定の方が強いという面が、これは発掘されたものは本ものかにせものかということに集中されて言われるほど、これは大きな比重を占めていると私は思う。(中略) この間も私は高津先生と一緒に焼きものを拝見しております際に、加納さんという人が私の顔を見まして、しろうとの方と看破されましたのか、どうも焼きものの世界はむずかしいでしょうと言われましたから、焼きものの世界もむずかしいでしょうけれども、焼きものをめぐる世界の方がもっとむずかしいよと私は答えておきました。非常にむずかしい問題があるようでございますが、それだけに文化財関係の職員の方あるいは委員の方々は、これは慎重に冷静に純粋の学問的な立場から、この美術の問題には対応する必要があるだろうと私は思う。 そこで伺っておきたいのは、永仁の壷の場合にもいろいろ活動したようでございますが、陶磁協会というのがございます。これは一体どういう団体でございますか。私、一応は調べてみましたが、文化財保護委員会としてのつかまえ方をお話し願いたいと思います。(中略) |
淡谷委員 | それから五人委員会の構成でございますが、法律を見ますと政党に関する警戒が非常に強いようであります。政党に入った者が三人以上入ったらだめだということをいっておるようですが、私は政党の関係よりも、さっき言いましたが、最近の骨董ブーム、古物ブームに乗って、外部とのつながりの強いことがはっきりしている者は、私はやめてもらう方がいいと思う。むしろこれも、きょうは名前を申し上げませんが、かなり確実な――乾山にせもの、本物論とは別でございますけれども、そういううわさも聞きますし、美術品の鑑賞というのは非常にむずかしいだけに、少なくとも純粋な美術性を汚すような計算的な観点から判断を左右するような人物については、政党人以上の警戒を払っていただきたいと思う。(中略)こういう点からも、私は佐野乾山というものの真偽の明らかになるということは、いろいろな意味において、日本の美術に大へんな貢献をもたらしておる。さっき高津先生から言われましたように、文化財保護委員会の中に本物説をとっている方がある、それはそれでいいと思うのです。本物と思うなら本物でいいと私は思う。あるいはまたにせもの説をとる人はにせもの説をとってよろしい。純粋な観点からやるような、勇気をもって大胆率直にやるべきだと私は思う。何か騒ぎが大きくなってから、こわいものに触れるようで、厄介なものには手を触れるなといったような気持が見えるのですが、あなた方の態度さえ純粋であれば、にせもの論けっこうです、本物論けっこうです。少なくとも発掘されなかった佐野乾山に対して、率直に勇気を持って立ち向かう態度がほしいのですが、その点はいかがでございましょうか。 |
清水政府委員 | 全くおっしゃる通りでございまして、私どもも世の中の雑音に阻害されないで、自己の信ずる道に従って、学問的良心に従って、明朗濶達に、大胆に自分の研究成果を発表する心持を持ってやって参りたいと思っております。 |
淡谷委員 | 私は日本の貴重な文化財の保護を考え、また埋もれた美術品を世の中に紹介することは非常に大きな意義のある仕事だと思いますからあえて申し上げますが、新しく発見された佐野乾山についても、全部がいいのかどうか、悪いものかどうか、それは白紙で立ち向かって、この際あなた方が主になって、高津先生もおっしゃる通り顕微鏡試験けっこう、科学的な試験けっこう、ただし試験だけでは結論が出るとは思いません。高津先生のおっしゃるにせもの論の中には、現在できたものだという説もあるようでございますし、明治にできたという説もあるようでございますし、徳川時代という説もあるようでございまするが、科学的な試験では時代が新しい古いはわかっても、乾山か乾山でないかはわかるはずがない。やはり最後は乾山の研究家の純粋な美術の鑑識眼に頼るほかないので、どんな威厳にも屈しない、また権威にも屈しないような鑑識眼を持っている人は、この際大胆に意見を主張して、乾山というものをもう一ぺん見直すべきが至当じゃないかと思います。バーナード・リーチがあの乾山を見たという話も聞いておりますが、私は若いころ白樺派でやったもんだから武者小路やバーナード・リーチは知っております。リーチ自体の作品もしばしば見せられて、あの人の美術品に対する鑑識眼も知っております。また人柄も知っておる。あの人たちがいいということになれば、にせものとしても投げ捨てられるものじゃないから、にせもの本物はそのうちきまるかもしれませんけれども、この際乾山研究の新しい資料として率直に立ち向かうべきじゃないかと思う。これは反対論もあるでしょう、賛成論もあるでしょう、それはいいじゃないですか。むしろあなた方を鼓舞激励する意味におきまして、勇気を持って、大胆にこの問題に取っ組んでいただきたい。高津先生がおっしゃる通り、科学的試験けっこうです。そのほかに学者の信ずるところによって十分所信を述べたらよろしいと思う。何かはれものにさわるような態度では、かえって文化財保護委員会は疑われます。どうですか、立ち向かう勇気ございませんか。 |
清水政府委員 | 文化財保護委員会の専門技官も博物館、研究所の専門技官も、それぞれ自分の信ずる道に向かって今やっておるところでございます。ただ文化財保護委員会が行政法上乗り出すところまで行っておらないということでございます。(中略) |
淡谷委員 | どこからも災いされない場所といったら、あなたの方しかないのです。あとはみな災いされます。何といったって欲もあるだろう、いろいろなものがありましょう。やはり乾山は所有者を離れ、あるいは関係者を離れて、日本の乾山あるいは色陶器の新しい研究のためにも、立ち向かわれるのはあなた方しかないんじゃないですか。審査請求があって、これは乾山であろうかなかろうか、古いか新しいか見てくれといったら、見てやったらいい。意見も述べたらよろしいのであります。これだけ大衆化しますと、私たちも政治的な責任を感ずる。国がちゃんとした文化財保護委員会等を持っておるし、りっぱな専門審査員もおって、それくらいのことにどうも意見が述べられないとなればおかしいと思うわけです。研究しているから熱がさめるまで待とうという態度じゃ、万一本物だったらどうします。散逸しますよ。これはリーチなども、ある場所では非常にほめて、日本が放すならばほしいと言っているらしい。こういうところから私は日本の美術品は散逸すると思う。にせものだったらなおさら大へんです。それは君たちできめてくれ、おれたちは知らぬという態度はやはり非常にとらない点である。きょうはいろいろ御相談もございましょうから、あえて結論は追及いたしませんけれども、私たちもこの問題に対しては真剣に、真摯に見守っていきたいと思います。どうぞ文化財保護委員会も、その使命の重大さを考えて、純粋にしかも勇敢にこの問題に取り組んでいただきたい。この要望を申し上げまして私の質問を終わります。 |
*昭和37年10月29日第41回国会文教委員会小委員会
高津委員は、佐野乾山の大勢は贋作と決まっていると決め付けて、林屋氏、藤岡氏が真作派として意見していることを批判します。 | |
高津委員 | 個人でやっておるのでまだ発表する段階にない、こう言われますけれども、世論はにせものともうきまったくらいにまで識者の間ではもうきまっておるのだ、こういうように私は思うのです。にせもの説が圧倒的に強くなったのは、東京の白木屋と大阪の大丸で展覧会をやって、一般にも識者にも公開したから、(中略)あれはにせものだという意見がどんどん出だしたことはすでに御承知の通りであります。それより前には芦屋に住んでおる乾山研究家の山田多計治氏、根津美術館の奥田直栄氏、画家で文字の研究家である加瀬藤圃氏、乾山会会長の相見香雨氏、独立美術の小林和作氏、京都の陶芸家の加納白鴎氏、日本陶磁器協会の梅沢彦太郎理事長、こういう人たちは以前にみな黒説を発表しておるのであります。しかし以後になりますと、芸術院会員の川端康成氏がそうだし、大阪陶磁文化研究所長の保田憲司氏もそれだし、茶道雑誌に書かれた古賀勝夫氏という研究家のもそれだし、あるいは芸術院賞の恩賜賞の田中親美氏も黒説であるし、芸術院会員の岩田藤七氏も黒説、芸術院会員の清水六兵衛氏も黒説、芸術院会員ではないが、人々が非常に認めている河村蜻山氏もはっきり黒説、例の加藤唐九郎氏も黒説、推理小説の松本清張氏は、最近の芸術新潮で、佐野手控えも初代乾山のものではない、それからむろんこの陶器も乾山のものではない――芸術新潮は展覧会の主催者であって、今まで文化財保護委員会の文部技官、たとえば東京国立博物館の林屋晴三氏とか、あるいは京都国立博物館の藤岡了一氏とか、あるいは東大の乾山、先琳の研究家で、第一の専門家のように認められている山根有三氏とか、そういう人々の白説をじゃんじゃん書かしておった。宣伝しておった。その芸術新潮において今や――あれは二十枚の原稿か三十枚の原稿か相当長い文章ですが、松本清張氏がその中で手控えの方も作品の方も両方とも乾山のものではないという意見を発表しているのであります。ただしこの手控えは斎藤素輝氏のものではない。そこだけは違いますが、本物ではないという点ははっきり文章で書いている。それを芸術新潮が載せるに至っているのであります。だからこれに気をつけている人から見れば、もう白、黒はきまったのだというように思えるわけであります。役所の方は白だという意見をずっと言いっぱなしで、国立博物館というようなものを背景にして大宣伝したままにして、それから世間ではみんなこれは黒だ黒だと言い、識者はもう黒だと思い込んでいるというようなときに、まだあなたの方は発表の段階でないというのは実にわからぬですが、何かあなた方の方で隠しておかねばならない事情があるのかどうか、それをお伺いします。あなたの説明ではどうしてもわからない。 |
清水説明員 | 前から申し上げている通りでございますが、それは研究の世界であり、学問の問題でございますので、それぞれの研究者、学者がそれぞれの立場からじっくりとおもむろに調査研究していけばおのずから帰すべきところに帰するのではなかろうか、こういう考え方を持っているのでございまして、仄聞いたしますと、帰すべきところに帰しつつあるやにも聞いているわけでございます。文化財保護委員会といたしまして、すなわち国の機関として、これの真偽を発表するとかしないとかいうことは考えておりませんが、研究家がそれぞれの立場から権威ある学術雑誌でもって怯懦に陥ることなく、自信と経験とに基づいて発表することは差しつかえないと思っておるのでございます。しかし、御承知のごとく私どもの局におりまする人たちは国家公務員でありまするので、おのずからその良識に私どもは訴えておるのでございます。国といたしまして、鑑定所ではございませんので、国の機関が、これがいいとか悪いとかいうことまでは言っておりません。研究者が学術雑誌その他において発表することは差しつかえないと思っておるわけでございます。ただし、くどいようでありますが、国家公務員でありますので、良識に従ってやってもらいたいというふうに考えておる次第でございます。 |
高津委員 | しろうとが常識的に考えても、最近私も読んでみたのですが、なかなか読みにくい字があるので、それを学者に私の読める文字に書きかえてもらったわけです。それはたくさんのものを読みましたが、乾山を招いたパトロンでもあるし、弟子でもあるという大川顕道の覚書を読んだのであります。これは非常に信用されておるものでありますが、その中に「元文弐年巳九月、乾山初而佐野へ罷下り候節」云々の文字がはっきり書いてあるのです。しかし、今現われておる、新発見の佐野手控えを読んでみると、それより前の作品があるのです。元文元年だとかあるいは元文二年の九月どころか、まだ現われておらないときのことが書いてあるのです。この覚書が信頼すべきものであるから、一切の佐野手控えに書いてあることは全部おかしいということになってくるのでありまして、そういうように明瞭なことがあるのに、やはり林屋氏とか藤岡氏というものがそういう意見を発表されたままになっておる。それを黙って見ておるという害毒はいよいよ広まる一方だ、ほんとうのきめ手が出ておるのに、それを黙って文化財保護委員会は見ておる。これはどうしたのだろうかという疑いがあるんですよ。この大川顕道の覚書には「元文弐年巳九月乾山初而佐野へ罷下り候節」云々と書いてあるのに、それより前のものがあるはずはないと思う。これがインチキだというのは、これ一つでもきめ手になると思うのだが、あなたはどうお考えでしょう。 |
清水説明員 | 専門的になりますと私としてお答えにくいのでございますが、確かに今先生のおっしゃいました林屋技官、それから京都博物館の藤岡技官の特にいろいろなところへ出しておるものが、その後やはり論争があり、またそうすることによって学問の発達もあるわけでございまして、自分の経験と研究の結果発表したものが、他の研究者、学者から論争を受け批判を受けるということは、そこに一つのやはり学問の発達があり、自分の説がもし社会的にも学問的にもいれられないことになれば、本人の学問的な価値もやはり云々せられるのじゃないだろうか、かように思っております。あるいはそれに対して反論があれば反論するというところに、学問の進歩があるのじゃないかと思っておる次第であります。 |
高津委員 | 文化財保護委員会の事務局長のあなたは、この問題は今から技官は黙っておれ、論争が始まっておるから黙っておれと箝口令をしいたはずです。それは京都の国立博物館にも及んでいようと思う。東博へは言ったが、京博へは言わなかったのですか。そこをちょっと聞いておきたい。 |
清水説明員 | 今箝口令をしいたなんというお話がございましたが、さようなことはございませんです。いわゆる佐野乾山の問題が学問の領域からややはずれて、民間にいろいろな業者もあり、マス・コミにも載っている関係もあるので、もちろん学者、研究者としては、おのれの信ずるところに向かって、怯懦に陥ることなく、正々堂々とりっぱな学術雑誌に出すことはいいが、しかし国家公務員であるから、おのずからそこには限度もあるので、良識に従ってやってもらいたいということを京都博物館の館長を通じ、あるいは東京博物館の館長を通じて、注意を促したことは事実でございます。決して学者に対して、事務的な問題ならば別でございますが、籍口令をしいたことはありません。ただ、あくまでも国家公務員であるからマス・コミに乗せられないように、もし出すならば学術雑誌に出すようにやるべきであろうということを、注意を喚起いたした次第であります。 |
高津氏は、「永仁の壷事件」の時にあれほど非難していた日本陶磁協会の「陶説」を論拠として真作派を攻撃します。 | |
高津委員 | 政府には国として筆跡鑑定をする機関というか手段というかそれがあると聞いております。幸いに民間の学者加瀬藤圃氏が、この新発見の佐野手控帖と佐野乾山の文字は斎藤素輝氏の手紙の文字と全く一致していると、二十カ所も指摘されたものが、雑誌「陶説」の九月号と「芸術生活」の十二月号に発表されておるのです。「陶説」の方にはこのように書いてあります。加瀬氏の書かれたものですが、「上述の如く数の比率、」――かなの文字やいろいろな数の比率、「字母数の相違、形体、筆順、書及画、どの角度からも、真乾山とは似ても似つかぬ下手物であることは明瞭である。(中略)僕が八ツ橋絵皿を昭和廿七年以後と断定したのも当を得た観察であったことになる。この手控までこしらえて東西の大デパートに堂々と陳列させた贋物業者の宣伝振りは、今までにない強引ぶりであった。この大量生産の偽物も、始めから模造としてなら許せるが、真物の尾形乾山作として三点を数百万円でうるといった悪辣な商売をしたから問題になったと思う。猶問題になっても真物とみせようとした森川氏は、まず第一の明き盲で、これを絶賞して已まなかった美術史家の数氏は、尚一段の半鑒耳食の徒である。その愚劣低見論ずるに足らぬヘボ学者である。二世紀以前の作品と今窯から出たばかりの下劣醜陋なるものとを弁別が出来ぬとあっては、今までなにを勉強されていたかといいたい。それに自分が不明であったら、事実を事実として、ナゼ声明をして自分の鑒識の至らなかったことを天下にわびないのか。「自由な検討を期待し、なお識者の関心に応えたい」として公開された東西両地での展観に対しても官辺から何かの反応を示していただき世の疑惑を一掃してほしいものである。今後司直の手はこれにどう動くか、衆議院の文教委は政治的にどうさばくかが恐らく今後の課題となるであろうとおもう。」こういうように指摘しておるのであります。その上「芸術生活」の――ずいぶん早く出したもんですが、十二月号に、今の二十の一部、ここに写真が出ておりますが、二十カ所、筆跡くらい確かなものはないので、この字がここにある、この字がここにあると斎藤氏の手紙から出しておるのですが、斎藤氏の手紙というのはここに写真を持ってきましたが、こういう斎藤素輝氏の手紙なんですね。こういうように書いて出してあるわけです。みなで二十も指摘してあるのです。 そこで申し上げますが、「陶説」九月の分には今読んだようにS氏と書いてあるけれども、今度「芸術生活」の方には松島明倫氏もあるいは加瀬藤圃氏も、斎藤素輝氏と本名でこの問題を明らかにしておられるんですよ。このような鑑定が現われた以上は、文化財保護委員会はこれを、私のところは行政機関だと言われるから、国には国として筆跡鑑定機関があるわけだから、そこへあなた方で提出して、一日も早く白黒を明らかにして美術界における紛争に終止符を打つべきであろうと思います。私は資料をあなた方に提供してけっこうです。私はそういう鑑定をそこへ持っていけばいいじゃないか、科学的な鑑定が出るわけですから、それをなぜなさらないのか、これを聞きたいのです。 |
清水説明員 | ただいま高津先生から、手控帖を中心にして、これを国の鑑定するところに持ち出して黒白をつけてみてはどうかというような意味のお話がございましたが、御承知のごとく、この問題は国で指定してもございません。今一般の論議の対象になっておるものでございまして、文化財保護委員会がこれを、たとえば警視庁に何か鑑定するところがあるそうでございますが、そこへ持ち出して黒白をつけるのは適当でないと思っております。 |
高津委員 | これは指定されていないからということが理由で今のような御意見が出ておるのでありますが、しかし永仁の壷の事件とこの事件を比べてみると、この事件の方が何十倍大きいかわからぬのですよ。そしてまた今出ておるにせ千円札が、きょうもまた出て、二百七十枚くらいになろうと思うのですが、これは二十七万円の金額なんです。その十倍出回っておっても二百七十万円なんです。しかし国はあれだけ動いておるのですよ。この問題は二百も三百も出たというので、二億、三億という数億円の問題で、非常に大きな問題になっておるのであるから、これは指定品でないからというが、指定品でなくてもこんなに大きな問題になった場合には、やはりそういうことの鑑定の一番よくできるところは文化財保護委員会だと思うので、あなたの方でもう少し動いてもらいたいと私は思います。 それから、なかなかお動きにならぬので、識者はどう見ておるかということを、「陶説」の九月号に十一人の第一流の陶芸家にアンケートを求めております。そのアンケートの中でただ一人あいまいなことを言っておる。それからもう一人は名前を伏せてくれと言っておる。すなわちそれらの今二つ例をあげたのを除いて、あと十一人の中の九人までが全部黒説であります。(中略) 大きな大きな事件で、美術行政においてこんなに大きな事件はない。春峰庵事件よりももっともっと大きな事件であることは明らかですよ。堂々と白木屋と大丸の両デパートにこれは本物なりと出ているのです。それを文部技官が、一番権威あると認められる人間が太鼓をたたいて、博物館を背景にこれは本物だ本物だと宣伝するんですよ。これは実に重大な問題です。指定品でないのだから、指定してないのだからと言われるが、しかし初代乾山のものが二百も三百も出て指定品が一つもないということは、本物なら指定せねばならぬだろうと思うのだ。だから新発見のこの品々は、あなたのところはどうしても逃げることのできない品物だと思います。何とか言いなさいよ。 |
清水説明員 | 文化財保護委員会として正式に白黒を鑑定するということはできないのですが、文化財保護委員会の事務局の技官が、専門職の研究職の人たちが学者の立場から研究いたしておりますし、また他面委員以外の民間の学者、世論も次第に落ちつくべきところに落ちつきつつあるのでございます。また近いうちには専門技官があるいは権威ある学術雑誌に発表するということもあるかと思うのでございます。落ちつくべきところに次第に落ちつきつつあると信じております。 |
濱野委員は、清水局長に対して、藤岡氏など真作派が贋作派に対して反論しないように圧力をかけます。 | |
濱野小委員 | ただいま先輩からの質問中、清水局長が二つ御答弁されましたが、その答弁はなかなか重大な意味があると思う。その第一は、私ども意味がわからぬのでございます。ただいま、いずれ学者として、公務員として、権威ある雑誌にこれが本物であるということを発表する時期がある、こういうようにもとれますし、あるいは、にせ物に近い、論ずるに足らぬというような立場で発表する場合もあるだろう、こういうような二つの意味を含めた、いずれ研究の結果が発表されるだろう、しかも権威ある雑誌に発表されるだろう、さように私は受け取ったのですが、そうだとすれば、私はまず第一に、権威のある雑誌等に発表してもらいたいのは、藤岡了一君の図録に書いたこの趣旨に間違いのないという発表をするであろうということを予想できる。これは短かいから読んでみますけれども、非常にりっぱなものだということで、むしろ絶賛しているのですね。乾山というものはあるいは初代乾山、二代乾山、三代乾山、代理をもって代作をさせたようなもの、商業的につくらせたものさえある、こういうことを前提として、そしてそれぞれ乾山には基準とすべき第一資料が従来非常に乏しかった、こういうことをまず第一段に藤岡さんは書いているのですね。それを前提して、「この意味において、このたび新しく発見された「佐野乾山」の一群と、十点におよぶ乾山手控帳は、佐野における乾山晩年の芸域を如実に示して余りあるばかりでなく、乾山の全容を正確に理解する上にも極めて重要な資料とせねばならぬ。」もう藤岡さんは歴史的な大発見である、そう言っているのです。ですからこの人がもし、権威のある雑誌に発表するとすれば、たとえば今世の中で批判されているもろもろの資料を反駁する義務があると思うのです。もうこの問題は私どもが行ってみてからすぐに議論になった問題で、相当期間がある、そしてしかも筆致、筆法、陶風その他いろいろ、たとえば先輩のおっしゃったように、粘土とか紙とか、資材関係まで科学的なメスを入れて、そして藤岡氏の絶賛している文書に反論を加えている。ですからこのことについての反論が藤岡氏から権威ある雑誌等に私は発表されなければならぬ、こう常識的に考えるのですが、局長もそうお考えになるのですか、それを一点承りたい。 第二点は、あなたは非常に含蓄のある言葉らしく、落ちつくところに落ちつく、もはやその時期が来るであろうとおっしゃっているが、一体落ちつくところに落ちつくというのは、あなたは学者であり、あるいは美術、芸術の価値判断をして、そうして文化財という決定をされる権能を持っている方だ。しかしそれにしても芸術や美術を取り扱っておる国家最高の機関であるあなたであっても、落ちつくところに落ちつくという意味は一体どういうことなのか。悪く考えれば人のうわさも七十五日、そういう意味の落ちつきを期待しているのか、それともあなたの部下である藤岡さんとか林屋さんとか、そういう人たちの主張が正しいという結論を心ひそかに期待して、やがてそういう方向に落ちつくというのか、一体どういう意味なのか、一つ解説を願えればけっこうだと思います。二つの問題についてお答えを願いたい。 |
清水説明員 | 藤岡技官が、東京と大阪でいわゆる佐野乾山を展覧する場合の解説と申しまするか学説と申しまするかを出しました。それに対して各方面から反駁が、論争がございます。従いまして、その論争に、自分の学説は間違いであったという意味の論文と申しますか、そういうことが一つ考えられます。もう一つは、世論が批判しましたが、それに対する再反論と申しますか、そういうこともあるだろうと思います。どちらか二つだろうと思うのでございますが、それが出ましたあと、技法上からもあるいは粕薬の点、あるいは字句、各方面から論駁が出ておりまするから、それに対する藤岡技官の気持はここで窺知することはできませんが、何らかの方法で、自分がもし間違いであれば間違いであった、より一そう早く反論に対する説明が出てくるのが正しいのじゃなかろうかと私は思うのでございます。 それから二番目の、落ちつくべきところに落ちつきつつあるのではなかろうかという問題は、もちろん人のうわさは云々とかいう意味じゃございません。いわゆる佐野乾山が、学問的にも芸術的にも、その他見て是か非か、結論が次第に各方面の研究者、学者によって論難、研究されておりますので、結論がおもむろにじっくりと落ちついてくるのじゃなかろうか、こういう意味合いでございまして、決してうわさも何とかという意味じゃございません。結論が落ちつくべきところに次第に落ちつきつつあるのじゃなかろうかという意味でございます。 |
濱野小委員 | また反論の反論を清水局長にやるわけではないのですが、われ誤てりという藤岡了一さんの見解が出れば、これは落ちついてしまいます。しかし藤岡さんの見解として反論が出てくれば、これは君の言う定説というようなものは当分私は尾を引いてくる。なぜ尾を引くか、私が申し上げます。それはこうした古美術に対する価値というものは相当なものがある。中村先生は明治時代に高かった物は今非常に安くなっている場合もあるから、こういうお話もございます。その通りだと思いますけれども、しかしこれだけの問題になった品物は、そう半年や一年で片づくものじゃない、価値の落ちるものではありません。従いまして、経済的に見れば今日の段階では相当膨大な価値というものを予想できる。学者の刑法の学説とか商法上の学説とかいうのなら、それは世の中にあまり被害はありませんし、またたとえば山岡萬之助の刑法論とか上杉愼吉の天皇機関説とかいうものだったら、これはがんがん言ってもあまり実害はなかった、またない。そういう学問上の学説ならともかく、この品物に対してこの物が本物かにせものか、本物であったら何億という総括的な価値が生まれる。こういう問題はあなたのおっしゃっているように、普通の学者の学説とは違う。経済的なそういう裏づけがこの品物にはすぐくっついている。簡単にたばこの煙のように、落ちつくところへ落ちつくというようにお考えになるのは、これは少し局長、あなたは経済ということをお考えにならない説明ではないでしょうか。従って私の見解は、藤岡さんが再び反論をして、自分の説が間違いなかったということになれば、これは落ちつくところへ落ちつくどころの騒ぎではない。つかまされた人は憤慨するし、えらい問題が起きるのではないか、こう思っているので、あなたの説、落ちつくところへ落ちつくという説は、いささか私どもには承服できないところがあるのですが、それはいかがですか。 |
清水説明員 | 同じ学問の研究でも、普通の自然科学その他のあれと違いまして、経済的な関係がつきやすい、また疑われやすいという点がここに問題になってくるのではないかと思います。さればこそ、私どもといたしましてはより一そう国家公務員の良識に訴えてやらなければならぬという注意を喚起いたしたのであります。落ちつくべきところへ落ちつくというのは、今いろいろな問題が生ずるおそれがあるということの御注意がございましたので、深く肝に銘じて万々誤解のないようにいたして参りたいと思います。 |
中村小委員が追い討ちをかけます。 | |
中村小委員長 | 両委員の御質問はごもっともであるし、林屋、藤岡両氏の行動は全く遺憾に考えますが、将来こういうことを再び繰り返さないように、何か当局の方で考えられていることでもありましたら発表願いたいと思います。 |
清水説明員 | 先般来高津先生、ただいまは前委員長のお話がございましたように、この種の問題についての責任の所在、権威を高めるという点から、今後私ども反省すべきは反省し、改善すべきところは改善して参りたいと思っております。この問題につきまして、付属機関である博物館の一、二の技官がややもするとマス・コミあるいは業者との関係についていろいろと疑いの持たれることのないようにいたしたいという意味合いから、この前私は事務局長といたしまして付属機関の館長を通じそれぞれの館におりまする専門技官にこの種の問題が今後出てくるであろうが、やはり学者としては正々堂々と自分の研究と経験を発表するのもよいが、どうか権威ある学術雑誌に発表すると同時に、やはり何といっても国家公務員であるから良識によって行動してもらいたいということを深く注意を喚起いたしました。それぞれの博物館長はそれぞれの技官にそれを通知し、また会議もして検討をいたしたという報告を受けておる次第でございます。 しかしながら、今後どうするかという問題につきましていろいろ検討いたしておるわけでございますが、東京国立博物館におきましては、この種のような問題あるいは発表というような問題は、今後非常に慎重にやらなければならぬというので、どうしてもやらなければならぬ場合は、やりたいと思うような専門技官がおります際は、それぞれの課長と相談をし打ち合わせをし、また学芸部長を中心にして打ち合わせて、そうしてこれなら差しつかえないというならば博物館として発表するのもよかろうというふうにきめて今日までやっておる次第でございます。京都におきましては、先般私館長に会いまして、先ほど濱野先生がおっしゃいましたようなことも申し上げ、今後どうするつもりであるかと申しましたところが、やはり学者としての意見発表は正々堂々と、堅実なりっぱな雑誌に発表するのはよいが、発表の仕方については国家公務員であるからいかに慎重にやってもし切れることはないが、やはりこういうような問題が出た場合には、普通の技官ならば課長と打ち合わせ、また場合によっては自分も中に入って館としての意見をきめて発表するように努力いたしたい、かようなふうにも言っております。私どももそれについては今後そういう方法でより一そう慎重にやってもらいたいということを注意を喚起したような次第でございます。 |
あまりに長々と佐野乾山の問題を討論しているため、山中氏から文化財保護委員会の本来の問題を議論するようにとの意見が出ています。正しい意見だと思います。(^^) | |
山中(吾)小委員 | 私はこの問題については乾山の問題でも、永仁の壷にしても、文化財保護委員会の公務員としてのあり方の問題であって、文化財保護一般の主流の問題ではないと思うのです。ジャーナリズムのいろいろな問題にはなっても、日本の文化財保護のいわゆる主流の問題でない。個々の作品についての指定の仕方には関連をするけれども、日本の文化財保護という問題についてはもっともっと現在重要な曲がりかどにきていると思うのです。そういう意味において、これはこれとしてお聞きいたしたいので、その点について今後の対策というものを含んでお答え願いたいと思うのです。 |