乾山は本当にすぐれた陶工だったのか?


素朴な疑問について考える...



こんなことを書くと、何を今さら当たり前のことに疑問を持っているんだ?と言われそうですが...。
まずは、「陶工」に関してです。


竹内順一氏(東京藝術大学大学美術館長)は、

乾山焼の研究史からは、乾山を陶工とみなすことが主流を占めていたことが浮かび上がってくる。確かな根拠がないため声高に反論するつもりはないが、乾山自身が「陶器作り」それ自体に関与するのは、ごく間接的なものであろうと考える。あえていえば、窯の主、経営者、今風にいえば製品開発のプロデュースをするような立場であったのではないだろうか。
(『乾山焼研究随想−いま残る重要課題にふれて』KENZAN 幽邃と風雅の世界2004年 図録より)


林屋晴三氏は、

陶窯というものは、現今でこそ作陶に当たった作家が一人ですべてまかなうこともあるが、本来そうした個人的作業のなかで製作される性質のものではなく、大・小の規模はあろうが窯主のほか複数の工人によって製作されなければ、本来生業のたたないものなのである。(中略)したがってまず、工房生産であるという認識をもって作品を捉え、その上で個々の作品の作行きを観察するという研究が行われねばならなかったのであるが、残念ながら世上の声価が作用して、そうした研究姿勢をとることができなかったことに、いまさらながら忸怩たる思いを抱くのである。
(『乾山焼について』乾山の陶芸 五島美術館1987年 図録より)


つまり、世上「乾山」作品と言われているものも基本的には工人が介入した作品であるということです。そして、その中でも乾山本人が多く関わったものは名品と扱われているわけです。

さて、乾山作品の中で名品と言えばどれになるでしょうか?

人によって好みで別れると思いますが、鳴滝時代の光琳によって絵付けされた銹絵の角皿は必ずあげざるを得ないでしょう。そして、その他の多くの鳴滝時代の作品が名品としてエントリーされるでしょう。
まずは光琳画の角皿ですが、確かに素晴らしい作品です。しかし、
絵付けは光琳、角皿そのものは恐らく工人が作成したものです。そして乾山は光琳画に負けない「書」を書いています。さて、ここで考えてみましょう。
この作品で乾山は「陶工」の役割を果たしているのでしょうか?
「書」を書いたから「陶工」ならば、絵付けをした光琳も同様に「陶工」でしょうか?

別の視点から見てみましょう。乾山の作陶時代は、
鳴滝時代二条丁子屋時代江戸入谷時代に大別されます。鳴滝、丁子屋時代は多くの工人を抱えて数物商売をしていたと考えられています。しかし、それに比較して江戸入谷時代は、乾山みずから作陶により多く関わったと考えられます。

リチャード・ウィルソン氏は、

江戸において乾山の素顔は初めて明らかとなる。京都ほどの手慣れた工人、協力者のなかった同地では、書・陶・画すべてにみずからタッチしなければならなかったが、江戸の乾山を知ることは、京都の乾山を振り返ることである。
(『尾形乾山 全作品とその系譜』)


さらに、江戸から佐野に遊んだ乾山はさらに自らが多く関わった作陶をせざるを得なかったと考えるのが妥当でしょう。つまり、乾山がすぐれた陶工であったのなら、作品として

(佐野乾山)>(入谷乾山)>(鳴滝乾山、丁子屋乾山)

の順に優れた作品が作られたはずです。その視点で考えて現在、佐野乾山、入谷乾山として認められているもので、そのような素晴らしい作品があるでしょうか? 私は無いと思います。

私たちは、
森川勇氏が発見した佐野乾山を見た時のバーナード・リーチ氏の
一目見て本物と思うばかりでなく、私が今まで見たなかでもっともすばらしい乾山の焼物です

という発言をもっと重視する必要があるのではないでしょうか? リーチ氏の発言は、当然、これまで名品として知られていた鳴滝乾山を含めて「私が今まで見たなかでもっともすばらしい乾山の焼物です」と言っているわけですから…。


最後に、
藤岡了一氏(京都国立博物館工芸室長)のコメントを紹介します。

この意味において、このたび新しく発見された「佐野乾山」の一群と、十点におよぶ乾山手控帖は、佐野における乾山晩年の芸域を如実に示して余りあるばかりでなく、乾山の全容を正確に理解する上にも極めて重要な資料とせねばならぬ。特に森川氏の手元に収集整理されている資料の数々は、従来暗中模索であった佐野における乾山の作陶事情をかなり明確に伝えているし、また作品の大半は予想外にすばらしいものであり、乾山の面目躍如たるところを観ることができる。この夥しい「佐野乾山」の発見がまさに驚異というべき奇跡性の故に、真偽に関して疑問を抱く向きもあるようであり、一部ではこれらを全面的に偽作として否定し去ろうとする動きもみられるが、いまこれらの作品なり資料なりを直接に、冷静に観察すれば、やがては諸々の疑いも氷解するにちがいない。
(新発見の「佐野乾山」展 図録より)


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