「乾山字母表に就いて」加瀬藤圃氏 に関して

「陶説」昭和37年9月号より


この加瀬藤圃氏の字母表の研究に関しては、1982年に五島美術館で開催された「乾山の絵画」展の図録で、竹内順一氏(当時学芸課長)が、注目していました。

昭和30年代の後半には、新発見佐野乾山の紹介とその反論が、陶磁器関係の雑誌にとくにのこされている。これらの論争のなかで、一つだけとりあげたい論文がある。それは乾山の書(筆跡)を扱ったもので、過去の研究ではまったく行われなかった方法論にもとづくものであるからだ(正確にいえば書道史ではごくあたり前の方法論だが、それが乾山作品に応用されたことに意義がある)。

確かに、当時の状況を考えると加瀬氏の取り組みは画期的なことだったのでしょう。(現在でもあまり見ませんが...)しかし、「方法論の正しさ」イコール「結論が正しい」ことではありません。これはX線分光分析などの科学鑑定と同様で、科学的な機器を使ったから正しい結果がでるわけではないことと同じです。間違った比較サンプルを使用すれば、科学鑑定でも間違った結果が出てしまうことは当然です。

加瀬氏は、比較対象を真正の乾山の壮年の元禄15年作と言われている十二カ月歌絵皿や晩年の絵画の画賛に書かれているひらがなを佐野乾山の画賛と手控えの文字と比較しています。これは以下の点で不適切だと思います。

  1. 佐野乾山は75〜76歳の時の作品であるので、その35年前の元禄15年の時の作品の画賛の文字と比較するのは不適切。
  2. 絵画や陶器の画賛と「手控え帖」の文字を比較するのは不適切。

1項は書いた通りですが、2項に関して補足します。佐野での手控え帖は、乾山が自分のために書いた備忘録のようなもので、基本的に他人に見られることを意識していません。そのようないわばメモのようなものに書いた文字と自分の作品に書いた文字が同じでないことは自明のことだと思います。私たちでも、自分しか見ないメモは適当に書きますが、他人の目に触れるものは丁寧に書くはずです。簡単にまとめる下の表のようになります。下にいくほど字は丁寧になり、見た目を重視すると思います。

文書の種類 想定される読者 字体
手控え帖 自分、弟子、
須藤杜川
誰かに読まれることが想定できる場合は若干丁寧だが、メモは少し丁寧さが欠ける
手紙 宛先の人 相手によるが、画賛ほど丁寧ではない
絵画、陶器の画賛 不特定多数 字の選定に作品としてのコダワリあり、丁寧に書いている

例えば、左にあげた文字は、晩年の作と思われる「花籠図」(有名な福岡市立美術館品ではない方です)の画賛の一部を取りだしたものです。「秋花 野宮人」と「の」が3つありますが、「の」、「乃」、「能」と全部違う文字を使っています。意味的には差がありませんので、普通であれば全部「の」で書けばいいものです。しかし、これは画賛として絵とのバランス、文字全体のバランス・見栄えを考えてこれらの文字を選んでいると思われます。

一方、手控え帖は自分が思ったことを書きとめるメモのようなものですから、全部「の」を使うのが普通だと思います。それを画賛などの作品の文字と比較することは不適切であると思います。当時、この加瀬氏の論考に関しては、議論がほとんどされずに手控え帖は「真乾山とは似ても似つかない下手物であることは明瞭である」という大胆な発言だけを贋作派が持ち上げて、利用され、一人歩きする状態となっていました。

さて、私も加瀬氏にならって五島美術館の「乾山の絵画」展の図録や、他の本に出ている晩年の絵画の画賛から「真正乾山の字母表」を作ってみました。PCに画像を取り込めば、文字を拾う作業は、3,4時間でできました。


「真乾山」の字母表を作ってみたのですが、佐野乾山作品の画賛の文字が少ないので、比較できないというのが私の感想です。加瀬氏は、そのため「手控え帖」から字母を取っていますが、上に書いたようにそれは厳密な比較とはならないと考えます。
森川氏の所有していた佐野乾山は300個くらいあったそうですが写真が残っている作品の画賛の数はあまり多くありませんので、今後残りの画賛の文字が分かれば厳密な比較が可能だと思います。

仮名文字に関して素人にも関わらず書いてしまいましたが、専門の方のご指摘・アドバイスを頂ければ幸いです。


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