「佐野乾山」を”黒”にする謀略
芸術新潮 1962年5月号 <特別レポート>
本項は、現在の日本陶磁協会を批判するものではありません。 あくまで、40年前の事実を明らかにする事が目的です。 |
●レポートの概要
*このレポートのポイントは、
事件発覚当時に、「芸術新潮」誌が、これだけはっきりと問題点を指摘しているにも関わらず、現在「佐野乾山」のニセモノ説が根強くあるのは、やはり日本陶磁協会の組織力の賜物なのでしょうか?
*山本如仙氏に関しては、ここをご覧下さい。
●”黒”のムードの演出者たち
世間には「佐野乾山」をめぐる”黒いムード”がひろがっている。いわゆる民間学者、古陶研究者といった人たちが、いっせいに反対のノロシをあげているからだ。口火をきった山田多計治氏、地元研究者の篠崎源三氏、日本陶磁協会に属する佐藤進三氏、小森松庵氏、久志卓真氏などが、その急先鋒とみられている。前記の文化財専門審議委員、梅沢氏がこの日本陶磁協会の理事長であるところをみると、反対の声明を出したり、決議をしたりはしていないが陶磁協会の指導者たちは、「佐野乾山」を目の仇のようにして、まッ赤なニセモノ説を放送しているという。協会には全国各府県に支部があり、会員約2,000といわれている。いわゆる古陶研究家といった人たちは、そのメンバーに名を連ねているとみていい。もう一つ注目すべきことは、理事とか役員といった人たちの中に、古美術商が名を連ねていることだ。純粋な民間研究団体だといつても、実際は業界の動きと表裏一体の関係にあるという。 |
だから、ためしに骨董商を訪ねて、きいてみるといい、「いや、もうハッキリしていますよ。いけませんなア、あの乾山は・・・」と異口同音の返事がはね返ってくる。そこにもってきて、一部のジャーナリズムが「にせもの、ほんもの」で騒いだことだ。とうやら世間には、文化財委による科学調査を前にしてニセモノという”結論”がでっちあげられている。 その世間の”結論”に待ったを掛けて、ニセモノ説こそ陶磁協会の陰謀だときめつけるのが秦秀雄氏だ。 |
●でっちあげのニセ作者たち
ことろでニセモノ説の主張によると、これらの乾山は、きのう、きょうに作られたものだというのである。少なくとも、ボツボツ世に現れた4,5年前から作られ、佐野地方にばらまかれ、それを美術ブローカー、斎藤素輝氏が掘り返して売り歩いたものだという。 その出所についてわれわれはそれをもっとも重要視して、できるかぎりの調査を試みた。その詳細は3月号の<特別レポート>に既報したので、もう一度参照していただくほかない。 さて否定論者のいうように、現代作とすると、どこかにニセモノ作者がいるはずである。そればかりか学者たちが美術史上の重要資料と認めている「佐野手控帖」の作者も、どこかに存在しなければならない。 |
世間の”結論”では、ニセモノ乾山の陶工として、犬山市の山本如仙氏、そして、手控作者が、前記の斎藤素輝氏(つまり、斎藤氏は作者であり、売込み者という二役)、そして演出者が三田の美術商、米田政勝氏で、総プロデューサーで資本家が所有者の森川勇氏だと、でっちあげのスタッフ表までつくられているという。本誌が、この問題についての取材をはじめた昨年の11月ごろに、すでに、そんな噂を耳にしている。そこで本誌は特派記者に犬山一帯を調査してもらい、直接、山本氏を訪ねてもらった。なるほど山本如仙氏はみずから”八世乾山”と豪語するだけあって、写真一枚あれば、相当の目ききもひっかかるほどの”乾山”をつくれる人だ。事実、この山本乾山ばかりで、”乾山図録”をつくって笑い物になったご仁もいるという話だ。 だが、われわれの判断では、この山本氏はいわゆる”写し”の専門家であって、オリジナルなものはつくれない。 特派記者と同行した加藤唐九郎氏は、一目見て、この二つは巧拙はともかく、陶芸の慣用語でいえば「作行」、つまり作品の傾向、性格がちがうと判定を下している。こんどの「佐野乾山」のような、はなやかさや、奔放さは山本乾山には、全くみられない。 そこで、われわれはニセモノ・ブラックリストの中から、まず山本氏の名を抹殺し、その後も、全国にちらばる乾山写しの技術者を洗いつづけた結果、「佐野乾山」をつくれる陶工は現代になしという結論を得た。 |
ところで次は、「手控」作者の斎藤素輝説だが、(中略) だが、斎藤素輝という疑いの人物の存在によって、だれでも一度は”懐疑的”になるのは当然のことだ。われわれの出所状況調査のときも、斎藤氏の証言には最後まで裏付けデーターを探し求めて、徹底的な追及を試みた。そして、はっきり言って、彼が佐野地方に埋込みしたものを掘り出したという噂は、全く事実無根であった。 斎藤「手控」作者説に至っては、全く噴飯ものというほかはない。たとえ文字は似せて書けても、「手控」の中のあの奔放で、そして気品のある絵は素人が逆立ちしても描けるものではない。第一にナンセンスなのは、作陶者と、手控作者が別人だということだ。「佐野乾山」と「手控」が結びついて、はじめて学界が注目したというのに−−−。 |
*さらにニセモノ派は下記のように常軌を逸した行動を行ったようです。
われわれは、むしろ、こうした悪質なデマの根拠をつきとめたいと考えた。ことろが、その張本人が、みずから編集部に電話をかけてきたのである。松島明倫氏という骨董商で、斎藤氏とは旧知の間柄だという。本誌の出所調査はデタラメだ、OとかSでは信用できないと言われるので、斎藤ルートの1人である長尾善次郎氏(病気療養中)の名をあかしたところ、すぐさま松島氏は長尾氏の病床に現れて、その枕許で、「君は乾山のことは何も知らないと書け」と強硬にいいはり、長尾氏はたまりかねて、その旨の”一札”を書いてしまったという。すると松尾氏は、鬼の首でもとったように、「斎藤ルートの一角が崩れた」と放送しているという。 「手控」斎藤説は、そうした骨董商同士の泥仕合の産物とみていいだろ。 どうやらニセモノ派のいう陰謀団のスタッフ表は、砂の上に書いた文字ということになりそうだ。 |
●「請願」提出までの経緯
この「佐野乾山」問題が騒がれるとすぐ、2月14日に、衆議院文教委員会で社会党の高津正道氏が文化財委事務局長の清水氏に、文化財委として調査に乗り出す必要があるのではないかという意味の質問をしている。 それに答えて、清水事務局長は、一個人の所有品に対して、文化財委として、調査するような権限はないし、その必要もないと思うと答えている。しかし、もし所有者の方から調査してほしいということであれば、調査に応ずることもあるとつけ加えていた。 |
この清水局長の答弁は、消息通に言わせると、なかなかずるい応答ぶりだったという。(中略) うがった見方をする人によれば、森川氏の父、勘一郎氏は、当代の目ききをもって任ずる人だけに、向こうから「請願」ということは、まずあるまい。かかわりになるより文化財委としてはノータッチでいたいというのがネライだったという。 そして、その思惑のとおり、森川家は、「請願を出せとは、あまりにも見識のないことだ。われわれは、ホンモノと信じて集めているだけのことで、商売にしているのとは違う。」 −−−世間がなんと言おうと、言わせておけばいいということで、科学調査の話は、それで立ち消えになってしまった。(中略) |
そういうときだけに、「世間を、これだけ騒がしたのだから、所有者としての責任」を感じた結果、森川氏が面子にこだわらず、文化財委に「請願書」を出したことは、大きな反響を呼んでいるようだ。 高津代議士も、「森川氏の請願に対して、文化財委がどのような調査をすすめるか、衆院文教委としても監視する必要がある。バーナード・リーチ氏が、英国で佐野乾山を図録にするという話だ。いまや国際的な問題なのだから、文化財委としては、請願のあるなしにかかわらず、積極的に調査すべきだった」と語っている。 |
(中略)われわれは「佐野乾山」を、現代作のニセモノとするのは、ためにする謀略としか思えない。そして、「佐野乾山」を初代乾山の真作とみとめるかどうかは、美術史家による「佐野手控帖」の研究にまつというのが、正しい見方であろう。 |