”珍品堂主人” 秦 秀雄 が語る佐野乾山 「芸術新潮」1962年3/5月号 より

本項は、現在の日本陶磁協会を批判するものではありません。
あくまで、40年前の事実を明らかにする事が目的です。

戦前、乾山といえば光琳が絵付けした十数点しか認めなかったというように、乾山といえばニセモノと言えばいいという風潮がある。そういう人たちには”発見”などということはできっこありませんよ。とにかくモノをみたらいいんだ。これはすばらしいという感動から、ぼくらは出発している。絶対ホンモノ間違いなし。
(1962年3月号)
<永仁の壷>事件のとき世間は騒いだけど、その解決はなんにもしてやしない。結局小山富士夫君だけが、責任をとったような、とらないような奇妙な形で文化財委から退いただけで、ほかの連中は蛙の面にしょうべんという顔をしている。あれほどわれわれが追求した陶磁協会は、『古瀬戸総合展』というお詫び展覧会をやっただけで、ちっとも、粛正なんかされていない。
文化財委はあわてて、技官は”民間団体”の役職員になってはならないという布告を出して、何人かの技官が陶磁協会の理事からひっ込んだけれども、こともあろうに、小山氏がやめた専門審議委員の補充に、陶磁協会理事長の梅沢彦太郎氏を選んでいる。これでいいのですかと僕は言いたいな。なんの、かんのといっているけれど、文化財委、陶磁協会、そして全国の道具屋さんはグルになっているんですよ。その組織の力で、ニセ
モノだ、ニセモノだと騒がれては、たまったものじゃない。これはもう”暴力”ですよ。
(1962年5月号)

これは陶磁協会の機関紙ですよ。この雑誌の口絵にのせている乾山は、いわば協会ご推薦の乾山だ。ところが、どうです。その八割はニセモノばかりだ
(1962年5月号)
協会の理事諸君で、いい乾山を持っているという人があるなら、見せてほしい。いや協会につながる業者のところでも、まず乾山銘のあるものの9割はニセモノと断言していい。僕は彼らに乾山を論ずる資格なしと決めつけたい
(1962年5月号)


*佐野乾山事件が盛り上がった時にこのように陶磁協会の姿勢を追及する発言があった事は驚きです。しかし、その後その議論は消え去ってしまい今に至っています。それにしても、秦氏がニセモノと断言したのはどの乾山なのか興味が沸きますね。


(Since 2000/06/03)

佐野乾山に戻る

Mainに戻る