●概要
昭和37年、乾山が晩年に在住した佐野(栃木県)で焼いたという作品が昭和35年頃から200点以上も大量に市場に出ました。
発見された作品には乾山自筆の「手控」がついており、それは専門家によって「真筆」との判断がなされました。
しかし、その真贋がマスコミ各機関で熱心に取り上げられて大きな問題となりました。その論争には陶磁研究者、美術史家の他
郷土史家、古美術商、陶芸家、画家などが参加し、新聞や雑誌で大きく取り上げられました。テレビの公開討論や衆議員の文教委員会
にまで持ち出されて世を沸かせました。大別して陶磁研究者や美術史家達が真作派、古美術商、陶芸家が贋作派となって対立しました。
ところが、これだけ大きな社会問題となったにも関わらず明確な決着がつけられず、黒に近いグレーといったまま膠着状態となり年月が
流れました。しかし、最近になって真作派の住友慎一氏らのグループによる一連の著書の刊行があり、これからの動きが注目されています。