泥の中の「佐野乾山」

芸術新潮 1962年10月号 <松本清張氏によるレポート>

本項は、現在の日本陶磁協会を批判するものではありません。
あくまで、40年前の事実を明らかにする事が目的です。

松本氏の論旨

*氏の書かれた長いレポートを要約すると

  1. 佐野乾山事件の本質は、業者と関わりの強い日本陶磁協会と当代一流の目利きである森川父子の私闘である。
  2. 日本陶磁協会が内部の「真正乾山」に対しては真贋を問わないのに佐野乾山だけを攻撃するのは不可解である。
  3. 文化財保護委員も業者との癒着があるため、非介入の立場を取っている。
  4. 手控帖」と「小西家文書」の筆跡が異なるため、乾山の筆とは思えないが、佐野乾山と「手控帖」ともに同じ程度に古いものであり、現代作のニセモノではない。
  5. 上記4を合理的に解釈すると佐野乾山、「手控帖」ともに乾山の弟子が作成したものと考えられる。
  6. 佐野乾山支持派も反対派も、妙な妥協はせずに、お互いに徹底的にホシのつぶし合いをしてほしい。そこからはじめて「真理」が見出されるであろう

松本氏は、事件の背景として日本陶磁協会文化財保護委員、骨董業者との癒着があるとして、それを厳しく追求しています。
佐野乾山に関して松本氏は、反対派が言うような現代作のニセモノとは思えない。佐野乾山は乾山と同時代のものであるが、「佐野手控帖」の筆跡が「小西家文書」のものと異なることから、乾山の弟子が作成したものではないか、との意見を述べています。
これは至極まっとうな論旨です。反対派の方々が書いた文書に、よく松本氏の「弟子作成説」としてニセモノ説の証拠として紹介されています。しかし、松本氏は現代作のニセモノではないと明言しておりますので、両者の筆跡に違いに関して合理的な説明ができれば弟子が作成したという仮説は不要となり、ホンモノ説となりうる考えです。

(重要なのは、松本氏は反対派の「現代作のニセモノ」説を否定していることです)


●事件の背景

「佐野乾山」の賛否両論はあらゆる角度から論議されていて、いま一段落ついたところであろう。この際、佐野乾山がホンモノか、現代の偽作かを検討してみる上で、これまでの議論を一応整理してみるのは無益なことではない。それぞれの主張にはみな一理がある。従って、その主張と主張の条件を衝突させ、比較し、その落差を考えてゆけば、一つの結論が出てきそうに思える。

支持派 反対派
  1. 佐野乾山では、宗達風な画想が目につく。通観して、光琳画のあの艶やな肌あいとは異なった、どこか強直気分、自由でリアルな野性味といった風がただよっている。・・・一つの画面に装飾性と写実性とが巧妙に融和した、つまり『写実』を装った『装飾性』の極致であるともいえよう。(藤岡了一氏 ・「乾山」展パンフレットより)
  2. 彼の作品に、まったく新しい領野がひらけたことになるのだ。つまり、芸術至上の点からは、すでに彼の絹の時代は終わっていたのである。そして、当然、つぎには木綿の時代が要求されていたのだ。(青柳瑞穂氏 ・ 同上パンフレット)
  3. 器の小空間を生かしながら、それにつかずはなれずの自由感がある。あくまでも『絵』である。『器』ではない。・・・梅の花 −−(中略) それは自然の中に咲きいでた梅ではない。どれもみな生活的につかみ、浮か出た色である。従って、ここには梅の匂いはただようていない。生活的に獲得した梅の匂い、 −−生活の豊かなアカシ、愉楽があるだけである。(岡本太郎・「美術手帖」8月号)
  4. 今度の全作例を通じて、宗達への接近がつよく感じられる点は、十分留意すべきことであって、それを僕は佐野にいった乾山が20年前に死んだ兄光琳の繋縛をきれいさっぱり脱却して、『先師』宗達の闊達さを自分のものにした結果かと思うのだ。そして、その放胆さが一年200点余という多作の原因だったのではないか。寺田透 ・ 産経新聞6月25日付け)
  1. 佐野乾山展を見た。色が多くてソウゾウしいのに驚き、かつ薄ぎたないのにも驚いた。私は私のイメージの乾山をこわされた。(岩田藤七氏 ・毎日新聞6月23日付け)
  2. 八ツ橋が逆形コの字で、これでは向こうに渡れない。芸術センス零だ。八ツ橋には橋桁が描いていない。描けなかったとみるべきだろう。カキツバタの花に、白い胡粉の花に、ソラ色の線描がある。これは光琳青貝の花の線ボリをまねたものだろう。(加藤藤圃氏 ・「陶説」7月号)
  3. 絵が悪い、書が悪い。騒々しくて品格が卑しい。器の形も悪い。ここで悪いというのは、乾山のものとはちがう、乾山のニセモノであるという意味よりも強い。乾山であるかないかより、それ以前の否定である。つまり、誰の作であろうと、芸術品として『悪い』のである。(川端康成・ 毎日新聞「自慢十話」より)

佐野乾山がニセモノだといわれる一つには、これまでその土地から一つも世にでなかったものが、今度急に200点以上も一度に出たことに疑問を持たれている。つまり、佐野に乾山が有ったか無かったかの論争である。(中略)
これについて、6月12日、佐野市で、森川氏に乾山を譲ったという旧所有者たち、須藤清市氏、鈴木源之助氏、島村源吉氏、脇坂景秋氏、太田清兵衛氏と、朝日、毎日、読売、産経、NTVなど約20名、オブザーバーとして高津正道渋谷悠蔵、衆院文教委員などが、一室に会した。

  • 私は父から譲られた乾山を全部で21点、茶碗14点と角皿7点を持っていたが、茶碗一点を残して森川氏に売り渡した。それらを売却するときに家族や知人たちには相談しなかった。また、親たちから”乾山は他人に見せるな”と言い伝えられてきたので、誰にも見せたことはない。森川氏に譲ったのは、氏の熱心さに頭が下がったからだ。森川さんは、いずれこれらの品を一般公開し、図録を作るのだということで、私のところで死蔵しておくより、そのほうがこの陶器のためにもいいと思ったからだ。また、私どもの経済的な事情もお売りする理由の一つにあったことは事実だ。須藤清市氏)
  • 明治40年ごろ、鎧兜と一しよに買った。太田家の記録がある。(太田清兵衛


では佐野乾山にこれほど執心を燃やして買い漁っている森川勇氏に対する各方面の評価はどうであろうか。
森川氏は、愛知県中島郡苅安賀の旧家で、父の勘一郎氏は元文部省文化財専門審議委員をつとめていた。古陶器鑑定では第一人者といわれ、息子の勇氏も早大卒業後は古美術研究に凝り、その才腕を買われて、27年末から30年まで約3ヵ年、文部省文化財委の事務局に嘱託として働いた。調査員または修理監督官といった肩書きで、もっぱら京都博物館にあった名品の修理補修を監督している。たとえば、国宝の「金棺出現図」の補修だとか、仁和寺の「孔雀明王」など名品ばかりを、森川家出入りの経師屋を動員してやっている。国家予算の修理費は雀の泪ほどであったから、その補修は森川氏の自費負担が相当なものであったといわれ、事情を知
っている文化財委の技官たちは何となく森川氏に一目置くようになり、嘱託でありながら森川氏の発言力は相当なものであったといわれる。


従って森川勇氏の目利きは相当なもので、いわゆる骨董屋が束になってもかなわないと言われるゆえんだ。しかも、森川氏は豊かな財力を持って骨董屋から安く買い漁るので、骨董屋仲間の評判は必ずしもよくない。特に業者ぬきでの取引をしたりするので、森川はコレクターという名の骨董屋だなどどいう声もささやかれているという。つまり、業者の中ではアンチ森川派がいつとなく出来上がり、これが文化財委の中の反森川派と暗黙のうちに通じていることはうなずける。
井伏鱒二氏の小説モデルといわれている「珍品堂主人」の秦秀雄氏は、「森川父子というのは、なにしろ、当代第一流の目利きだからね。本当のところ、5人や10人の業者が一しよになって当たってもかなわないくらいの男だ。それに財力があるから、業者たちの森川に対する怨嗟は非常なものですよ」と言っているし、某学者は、「森川のところの品だと言えば、まず、フリーパスで売買できる。それだけの信用はあった。逆に森川はその信用を権威にして業者たちに睨みを利かせ、事実、阿漕な買い方もしているという噂だ」という具合になっている。
要するに、森川氏に対する毀誉褒貶はあっても、両説のつづまるところは、森川勇
が当代一流の目利きであり、強気であり、財力をバックに相当に型破りな買い方をしているということは言えそうである。

●真贋の論争点

では、「佐野乾山」の陶器そのものの真偽の鑑定はどうなのか。
それには、まず、佐野乾山の土質、釉が問題とされなければならない。

支持派 反対派
●土質に関して
  • 森川氏の依頼によって陶片を科学的に検査した結果を出している。それは、土質を分析したり、熱度による科学的変化などの調査だが、「自分が調査した陶片に限り、はつきり乾山の師事した仁清の使った原料土だ」と断定している。(吉竹英二郎氏 ・ 京都工芸指導所技官)
  • 上記、結果は「佐野手控帖」、昭和16年頃発見された大川顕道書写本に京都の「白土」を取り寄せたという記述があり整合する。
  • 土質は愛知県、岐阜県下より量産されるものを完全配合したもの。(高津正道氏が狩野白鴎氏の鑑定書を根拠に発言)
  • 今日普通に新陶器が作られている原料土である。(狩野氏 ・ 「陶説」8月号) ⇒ ただし、実際の佐野乾山を肉眼では見ているが、科学的な調査は実施していない。
  • 瀬戸土を中心にして信楽や美濃土をミックスしたものであろう。(保田憲司氏 ・ 大阪陶磁文化研究所長、日本陶磁協会理事)
●釉薬に関して
  • 保田氏は佐野乾山をを彩色釉と言っておられるが、釉ではなく、低火度釉下では融けない下絵付顔料で彩画されていることをご承知ねがいたい。また、大正黒釉と言っておられるものは半磁器用下絵付顔料で、市販されているものである。調合比などは知る由もないが、大体想像のつく顔料であって、あくまでも釉ではない。大正黒は本窯SK8酸化焼成において大正黒本質の黒色が出るのであって、低火度釉の佐野乾山の下絵具としては使用できない。(吉竹英二郎氏 )
  • 私は科学者ではないが、永い経験と研究から釉についての感覚はあり、鑑定はできる。その眼で見ると、佐野乾山の彩色釉のうち黒は、大正年間に発明された、いわゆる大正釉』であることがはっきり分かる。また、エンジ色が梅の花の絵に盛んに使用されているが、この釉は、どんなに使用量を調査しても明治初期より遡ることはない。そのほかいろんな色釉が使われているが、どれもみな佐野時代には無く、逆に陶材店からたやすく買い入れられるものばかりである。(保田憲司氏)
仮名の書体に関して
  • もし、加藤氏が学問的に厳密な研究態度をとるのが本意なら、字母対照表を作る基準とした根本資料を公開しなければならない。乾山のような作家では殊に根本資料を厳選する必要があるからである。
  • 手控帖の紙が画仙紙なのは事実だが、乾山が使うはずはないと言い切れるものだろうか。最近、佐野市の公民館から、同種の画仙紙を使った須藤杜川書状が発見されている。これが信ずべきものなら、杜川から帖を貰ったことが手控の中に記されているし、乾山が画仙紙を使うことは十分ありうる。さらに言えば、画仙紙が幕末以後には入手しやすくなっていることを認めながら、『ここ十年間のデッチアゲ』というのは論理の飛躍であろう。
  • ,い錣罎「真正乾山」に出てくる仮名文字と、佐野手控帖に出てくる仮名の書き癖が一致しない。⊆蟾議,忙藩僂気譴浸罎話羚颪梁麕椶卜打ちをした画仙紙であるが、それは当時は貴重なものであって、多量に輸入されるのは幕末から明治以後のことである。乾山が半紙で済むのをわざわざ拓本を剥がして画仙紙を使ったとは考えられない。(加藤藤圃氏 ・7月8日付毎日新聞名古屋版、「陶説」8月号)


上の論争について文化財委はどのような態度をとっているか。これは、現在のところ、「永仁の壷」事件とは違って、文化財委は一切発言をしないという態度をとっている。事実、事務局は、これに関しては厳重な緘口令を布いているようだ。(中略) 骨董屋仲間と密接な関係にある日本陶磁協会と、森川派との闘争と言っても過言ではなかろう。
陶磁協会は、森川父子に対して激烈な反感を持っている。それは、勇氏が佐野乾山こそホンモノであると言い、同時に、現在世上に流れている「真正乾山」ものの7,8割はいけないと放言したからでもある。
推定によれば、乾山と称する陶器は、いま、ほぼ300点ぐらいのものが世間にあるという。これらが道具屋の手を通っていることはいうまでもない。もし、森川勇氏によってそれがニセモノだと決めつけられると、それを取り扱った骨董屋は大変な恐慌を来す。納めた先からはキャンセルされるであろう。骨董仲間の仁義として、納めた先から道具を引取るときは、大体、その値段で買い戻すことになっているから、これは大恐慌でなければならない。
また、文化財委がこの件に
関して一切ノー・タッチであるといっているのは、一見公平な発言のようにみえるが、その裏側を探ると、必ずしもそのきれいごと通りではなさそうである。


●文化財委の不明朗な態度

ところで、いま一般に流れている乾山のほとんどがニセモノだ、とい森川勇氏の言葉はなかなか含蓄がある。この発言は、陶磁協会が佐野乾山を挙つて否定にかかつたため、森川氏が反撃的にいったことで、陶磁協会はさらにこの言葉に刺激されて、反森川の感情をよけいに昂ぶらせてしまった。
しかし、私から見ると、陶磁協会側が森川氏の佐野乾山だけをなぜ攻撃するのか不思議に思われる。現在、新発見の佐野乾山を除いて、いわゆる「乾山」と称せられるものが300点以上出回っていると思われる。が、これが陶磁協会側の会員の手から所蔵家やコレクターに納められたり、また業者の所蔵になったりしている。一体、真正乾山なるものが300点以上もあるものだろうか。これらの乾山ものについての真贋の論議が陶磁協会側では全然なされていない。なぜ、彼らの持っているものに協会は批判を加えないのか。会員や仲間のものならみんないいとでも思っているのか。
(中略)この際、一切の情実、利害関係を超越してかからなければなるまい。ただ仲間内の仁義や、利害関係に抑制されて、自陣内の批判を怠っていたら、陶磁協会は社会的に発言する資格も権利もないといえよう。陶磁協会側は真実のために佐野乾山の真贋を追求するというが、この錦に御旗は敵側のみ向かっていて味方には一向に冴えないようである。

以上の疑問は素朴だが、また重大な意味を持っている。誰もこのことには発言しない。いや、古美術の業界では知っていても発言できないでいるのではないか。それは、すべてが蜘蛛の巣のように情実と利害関係にひつかかっているからである。市中に横行している「乾山」の怪しいことは、ただに佐野乾山や陶磁協会側のものだけでなく、すでに松永美術館に重文指定として収められている乾山筆「花籠図」も、ずいぶんと怪しい。これは業界人なら誰でも知っている通り、原富太郎氏の旧蔵にかかるものだ。この絵のほうはしばらく措くとして、問題はその賛である。「花といえは千種なからにあたならぬ色香にうつる野辺の露かな」の文字の拙劣さを見るがいい。
いま、乾山筆として標準となるものは、万人の肯定する「小西家文書」であろう。この文書の文字と、この軸の字とを比較してみると、明らかに偽作であることが分かる。その文字の空間のおさまりの悪さよ。いかにも不安定で稚拙である。一字一字みていると、字画に震えが見える。これは素人または下手な書家が書いたものだと分かる。
こんなものを重文指定とした、文化財委の鑑識眼を疑わざるをえない。
ところが、聞くところによると、この「花籠図」は誰が見てもいけないとされているそうである。しかし、それを口に出した者はいない。ニセモノと思いながら、それを発言するものがいないところに古美術界の腐敗を起こしているのだと思われる。最近になって、この「花籠図」には妥協案が起り、絵はいいが、賛はいけない、つまり、賛は他人のもので、絵は乾山のものだ、という妙なナレアイ相談が持上がっているそうである。
しかし、「小西家文書」を見ても分かる通り、乾山は一流の書家としても立派に通る。その乾山が何を好んでこのような下手糞な文字を他人に任せようか。


この佐野乾山問題に対して、前記の通り、文化財委は清水事務局長によって緘口令がしかれている。表面は、民間の論争に巻き込まれるな、ということにあるらしいが、これも「永仁の壷」に懲りての処置であろうか。どうもそれだけとは思われない。私には文化財委の中の「家庭の事情」に原因がありそうな気がする。
「家庭の事情」とは、内部においてはいわゆる派閥争いである。つまり、文化財保護委員会の上層部は少数の委員で出来ているが、この存在が古美術界のボスである。この少数親分の間に派閥を生じさせた。文化財委といえば、数々の珍事件が起きている。たとえば、32年の「鷹狩埴輪」事件、31年に起った「西行絵巻」事件なども、その派閥抗争が底に絡んでいる。
これは内部の事情だが、次は文化財委と業者との危険な関係である。扱うものが文化財だから、当然、業者が絡むわけで、恰も建設省に土建業者が絡んでしばしば役人の汚職事件を起こすのと同じである。「芸術新潮」32年9月号にこのようなことが書いてある。
東京国立博物館内に前代未聞の偽作事件といわれた浮世絵の春峰庵事件
骨董屋が未だに出入りして、博物館に納めるものを売り歩いているということも耳にした。まさかと思っていると、その骨董屋が介入した事件が新聞に載って、博物館の重要ポストにいる人が反駁文を書いたりする。事件そのものは取るに足らないことではあるが、あんな札つきの骨董商に国立博物館が買うものを斡旋させるなどという常識上ありうべからざることがあるのに驚く。いろいろ内部の事情に明るい識者は、あまり骨董屋に近づきすぎますよ、と眉を寄せているのが現実である」


これは博物館と業者との関係だが、今度は博物館の技官と所蔵家との関係も世間の誤解を起こしやすい。所蔵家といっても美術にそれほど明るい人ではなく、いわばアマチュアだから、何かにつけて博物館の技官に相談相手になってもらわなければならない。すると、この関係が技官を所蔵家の美術顧問のような格好にしてしまう。遂には、その所蔵家に顎で使われるかたちにもなる。「有名な所蔵家のお供をして売りたてに行ったりする技官の姿を見ると疑惑が起る」のは当然だ。従って、ここに蒐集家と骨董屋との間に技官という中間的な存在があり、彼らが業者からリベートを取って所蔵家にすすめる、という奇妙な噂が立つゆえんである。
このことについては、いま文化財委の中に重要なポストを占めている人に芳しからない噂が立っている。業者からよくリベートを取るという評判があり、顧問格をしている或る美術館に納める品については露骨なリベート要求がなされ、しかもモノがいけないのでキャンセルされたという話もある。
私はここに無用なことを書いたわけではなく、実にこの間の事情が今度の佐野乾山事件にも影響していると思うからである。つまり、文化財委が「佐野乾山には関係するな」というのは、逆にカンぐると、いろいろと「事情」があるから、下手に手をつけると自分たちの弱点を突かれるおそれがあると恐怖心を起こしたからではあるまいか。この推測ももっぱら世上で取沙汰されていることである。


●私の「手控」鑑定

森川勇氏は、佐野乾山の「手控帖」と陶器に書かれた文字とが一致しているので、「手控帖」が乾山真筆だとすると、200点に及ぶ陶器のすべてがホンモノだと主張する。
してみると、この「手控帖」を究明することが佐野乾山の真偽を見極めるキメ手の一つになるわけである。しかも重要な手がかりである。
先ず目につくのが「手控帖」にある「乾山」の落款の字が、私にはどうも腑におちない。
従来、確実なものとされている「乾山」(たとえば、光琳との合作の皿の文字)の落款は旁の「乞」という字が(礼の旁)というふうになって、この上部が扁の肩のあたりに凭りかかるようになっている。そして(礼の旁)の文字も斜めに傾いているが、そこにはえも言われぬ優雅な形となっている。ところが、佐野乾山の陶器の落款を見ると、これがかなり違う。このことは陶磁協会で発行した「乾山」の図版(昭和29年に大阪で乾山展を開いた図録)を見ても言える。このほうはもっとひどいものがあるようだ。「山」については、佐野乾山の落款は真中の縦棒の上部に力が入り、釘のような形で上から押さえられている。ところが、光琳との合作品のこの棒は縦棒というよりも太い点に近く、その終筆の撥ね返りが「山」の左の縦棒にちかく傾いている。なかには、縦棒の太い点には筆の勢いが枝のような形で出ているものもある。佐野乾山にはこれがない。
次に「手控帖」の一つ、「佐野庄内諸事控、坤」の巻には「元文二歳末年極月下旬」とはっきり書かれてある。ところが、乾山の真蹟として標準になっている「小西家文書」の中に、その手紙のあとがきが同じく元文二年となっているものもある。この二つは同年に書かれたものだ。従って、「小西家文書」の字体と「手控帖」の字体とは一致しなければならない。若年、中年、晩年と人間の筆蹟が変わるという条件はここでは全然ないわけである。
それでは、「小西家文書」と「諸事控、坤」の巻の筆跡とは一致するだろうか。
私は「手控帖」を直接見る機会があったし、これを撮影した写真も見せられている。結論を先に言えば、「小西家文書」と比較して、残念ながら、これは乾山の真蹟ではないと思う。



●「佐野乾山」の作者

ところが、ここにそうとも言われないデータがある。
それは手控帖」そのものが非常に古いことだ。紙も古いし、墨の付着具合も古い。
私は森川氏から原本を見せられたが、よく見ると、墨の文字が紙からやや浮上がった感じだ。これは古い文書によく見られる特徴で、さらに文字のかすれた部分にはあとで補筆した箇所もある。現代的とは思えない理由だ。
こうなると、前記の文字の違いとこの事実とは大へん矛盾することになる。殊に陶磁協会側では「手控帖」の否定を直ちに現代出来(ニセモノ)説にしている。
だが、「手控帖」そのものの古さは否定することができない。少なくとも、これを現代的と断定することは不可能と思う。


では、小西家文書」の文字の相違と、「手控帖」自体の時代の古さとの矛盾はどうなるか。
これは私の推測だが、「手控帖」は或いは乾山の弟子が書いたのではなかろうかと思う。「手控帖」によると、陶工丹治なるものは乾山の優秀な弟子だったと記されている。その丹治が果たして「手控」を写したのか、あるいは、ほかに優れた弟子がいたのか、それはここでは問題ではない。
手控帖」によると、大川顕道に遺したという「陶法書」のほかはすべて自分の死とともに破り棄ててほしい、と頼んで江戸へ帰ったとある。もし、乾山にこういう意思があれば、彼を佐野に呼んだ旦那衆、いわゆる土地の文化人スポンサーは、当然、乾山の「手控帖」の写しを欲しがるのではなかろうか。もし、これが当たっていれば、「手控帖
に書かれた佐野付近の詳細な地理もうなずけるし、「壬生之記」の冒頭に出てくる「亀雲道鑑居士」の五輪塔が現地で発見されたことの符号も、当時壬生に乾山と同行した人なら、不思議でなくなる。


ここから、この「手控帖」の文字と、陶器の賛の文字が同じだという点に及ばなければならない。
いうまでもなく、「手控帖」の文字が陶器の文字と一致すれば、明らかに陶器は乾山その人がつくったものではないことになる。
つまり、「乾山」の優秀な弟子が絵付けをし、賛を書き、「乾山」という落款を書いたのではなかろうか。
しかし、世の人は、落款は必ず本人が書くと考えるであろう。だが、この場合、その優秀な弟子が二代乾山を許されたとしたら、彼自らが「乾山」と落款するのも不自然ではない。
このことから考えると、新発見の佐野乾山の図柄がはっきりと二つの傾向に分かれている理由も、何となく解けそうな気がする。佐野乾山支持派は、乾山は最初、光琳風な絵柄を描いていたが、のちに宗達風な絵柄に興味を持ち、画風もそれに変わったのだという。さらに説く者は、76歳になった乾山は、ようやく兄光琳風の影響を脱して宗達に移ったともいつている。
だが、これを弟子の作品とすれば、そこまで穿った観察をする必要はないように思われる。二つの違った絵柄の存在は、一つは弟子が師匠風の図柄を忠実に守ったものであり、一つは自己の個性を生かして奔放に描いたものではなかろうか。
陶器そのものも、前記のように、千葉大学の実験や、吉竹氏の実物に即した科学的な研究による結果を参照して、「手控帖」とほぼ同じ時代くらいに古いものと決めていいと思う。
私の想像では、乾山は佐野では自ら作陶はせず、主として弟子たちにそれをやらせたのではあるまいかと思う。自己の老齢のせいもあったであろうし
、おのれの技術の伝承ということもあったであろう。佐野乾山の大量制作の理由もそのためではあるまいか。すなわち、乾山は主に指図するだけであったが、むろん、自分でも全く作らなかったとは考えられないから、少数の作品はあったと思う。しかし、それが新発見の「佐野乾山」の中に含まれているかどうかは別の問題である。


一方、日本陶磁協会が主催した「乾山名品展」図録の中にあるものが全部「真正乾山」とはどうも私には思われない。このことは、「いま出ている乾山の9割まではニセモノだ」という森川説に賛成したいのだ。この図版の中にも疑問とすべきものが載っている。
もう一度くり返して言う。日本陶磁協会は問題をこれほどまで社会的に大きくしたのだから、自己批判的な意味で仲間のものにも徹底的な追求をなすべきである。それをやってこそ初めて世間は陶磁協会の発言の公正さに納得するで
あろう。自分のほうの臭いものには蓋をして他人のことを誹るのは、どうであろうか。
この沈黙は、仲間内だけの問題だけでなく、ことが文化財委のほうに火がつくのを恐れているからではなかろうか。というのは、会員中の古美術商数人の手で「乾山」が相当数然るべき蒐集家の手に納められているであろうから、その鑑定もしくは斡旋したものが文化財委の中にいれば、自然と怪我人がそこから出てくる恐れがあることである。
ひいては業者が永年世話になった文化財委の方面に申し訳ないことになるからではあるまいか。


それについて、また「永仁の壷」事件をひきあいにだすようだが、文化財委も小山氏だけに詰腹を切らせ、上のほうは頬被りで済ませている。もにならず、この壷を前所有者から買って当時の所有者、川崎氏に納めた仲介者は陶磁協会の専務理事佐藤進三氏だが、ともかく古陶鑑定の一権威と世間ではみているこの人が、ニセモノを世話したと分かっても、一言半句の弁解もなく、陶磁協会の専務理事に今日まえ居すわっているとは不可解な話だ。
会員も、協会の名誉と権威のために同専務を突上げたらよさそうなものだが、それもない。これでは、仲間うちの「乾山」ものを批判できる道理はない。
陶磁協会と文化財との腐れ縁の噂は、協会の理事が文化財専門審議委員に選ばれるという習慣にもあるようだ。


とにかく、この問題は、再三いうように、佐野乾山を攻撃する日本陶磁協会も、その内輪に抱き込んでいる「乾山作」を徹底的に追求する必要がある。まさか、その全部が全部いいものと信じていないであろうからだ。
新潮社主催の「乾山展」は、実は当初、読売新聞で主催して白木屋で行われるはずであった。そのときの計画では、佐野乾山ほぼ50点、日本陶磁協会側の出品約50点をならべて、参観者に比較検討させようというのが狙いであった。ところが、陶磁協会で佐野乾山と一しょにならべられては困るという理由で断ったため、読売新聞が手を引き、別の会場で計画をすすめていた新潮社がこれを受けて「新発見・乾山展」を白木屋で開いたのだという。
なぜ、陶磁協会は堂々と自分たち所蔵の作品を出して「佐野乾
山」に挑戦しなかったのであろうか。けがらわしいものと一しょにならぶのは厭だ、という高邁な精神なら、なにもテレビや新聞などを借りて佐野乾山を必死に叩きつぶそうと攻撃する必要はあるまい。自信を持っていれば笑って済ませることもある。佐野乾山と同じところにならぶと、かえって自分たちの作品の欠点が気づかれると思って引っ込めたのだ、と意地悪く言われても仕方がないであろう。


要するに、日本陶磁協会が森川父子憎しの感情と、佐野乾山が出れば市価に響くという利害的な関係から、これの否定に総動員でかかっているとすれば、まことに情けない話で、自分のほうは頬かぶりして相手だけを攻撃するのは、まさに大衆には縁のない私闘である。テレビ討論会や新聞誌などの公器による発言など、思い上がりも甚だしいと言わねばならぬ。また、庶民には遠い問題でマスコミも少し騒ぎすぎると思う。
それにしても文化財委の沈黙もやはり合点がいかない。あれはヘタなことをいうと、腐れ縁の内情を知った業者に尻をまくられそうな恐れがあるから一切黙っているのだ、という世間のカゲ口を解消するためにも、

「佐野乾山」の真贋の鑑定に積極的に協力してはどうか。(中略)
しかし、問題はここまできてしまったのだ。佐野乾山支持派も反対派も、妙な妥協はせずに、(なにしろ金銭的な利害関係のからんでいる古美術業界には、妙な妥協が多いのだ)お互いに徹底的にホシのつぶし合いをしてほしい。そこからはじめて「真理」が見出されるであろう。

(Since 2000/06/03)

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