日本の焼き物〔鑑賞と鑑定〕
第3巻 瀬戸・美濃・京焼 楽
松浦 潤 著
●決着していた 「佐野乾山」事件
本書の中にP121〜126まで、わざわざ「佐野乾山」に関して1章を設けています。
その中で、東工大で科学鑑定がされており、これによって「佐野乾山」は贋作であったとの事を書いています。
●知られざる東工大鑑定
松浦氏は、読者から加藤誠軌(東工大名誉教授)編著に「佐野乾山」についての記事があると教えられます。それによると、蒐集家M氏(森川氏)の依頼で、(国立博物館の専門官H氏(林屋氏)も同席)著書がXRF装置で分析したそうです。
分析の結果は、佐野乾山の絵具の顔料は非常に純粋で、昔にはあるはずのない顔料も検出した。分析結果は、M氏に伝えたが、公表はしなかった。著名人士を巻き込んで賛否両論が国会まで持ち出された「佐野乾山」は偽物であることがこの方法で科学的に証明された、と書いています。
●この科学鑑定は、はたして有効か?
その著書は、「蛍光X線分析」内田編著という学術書です。私も手に取って見ましたが、とても不思議な本です。題名の通り、蛍光X線分析に関する機材、手法などをまとめているものですが、問題の「佐野乾山」の部分だけ異質な感じがするのです。
印象としては、学術書に無理して「佐野乾山」関連の記述を押し込んだような印象です。作家の高橋克彦氏がこれを読めば、『「佐野乾山」の贋作の客観的証拠とするため、事件当時に科学鑑定を行っており贋作という結果が出ていた、という学術書(陶磁関連書物とは無関係な)を出版した』、というテーマで大作を書けそうな印象です。(笑)
しかも、そこには「佐野乾山」の作者も分かっているというような事も書いてあります。
技術者の端くれである私としては、科学分析の結果は真実として受け止める必要があると思いますが、どうも納得できません。贋作と言いながら、そのデータが示されていないのです。データがあったとしても、そのデータによって即、「贋作」とは断定できないのですから、データが無くてその結果だけを書かれても全然納得できません。しかも30年以上前の分析結果ですので、たとえデータがあったとしても追試が必須な内容です。
客観的なデータが無いにも関わらず、本書のように「佐野乾山」は贋作であったなどと書く著者の姿勢には問題があると思います。これは、飲み屋で「ここだけの話だけど例の「佐野乾山」は実はニセモノ。おれが科学鑑定したんだから...」と自慢するのと大差ありません。松浦氏のように深く考えない陶磁関係者がこの結果だけを以って贋作の決定的な証拠として持ち出す事は目に見えています。
私には筆者(加藤氏)がこの「佐野乾山」の記述を書いた理由が理解できません。単に「X線分光分析」の利用例を書くのであれば、この分析が初めて文化財に適用されて、贋作と判定された「永仁の壺」に関して書くべきです。しかし、その「永仁の壺」に関して一言も触れていません。
何故、筆者は騒がれていた当時に公表しなかったのでしょうか?
そして、今になってそれを公表した理由は何なのでしょうか?
科学分析結果が全く効果の無かった恥ずかしい事例として挙げたのでしょうか?
後進の技術者に、自分の失敗を繰り返させないための警鐘として書いたのでしょうか?
いずれにしても、何らかの理由はあったとは思いますが、あれだけ世間を騒がせていた「佐野乾山」事件の科学分析を公開しなかった影響は大きいと思います。筆者の科学分析の結果だけでそのまま「贋作」とは言えませんが、一つのデータとして広く批判を受けるべきであったと思います。(科学分析ですから、追試による検証が必要です)
今になって「特定の」陶磁器関係者しか見ないような本で、「実は贋作だった」と書いても意味があるとは思えません。
以上の疑問をまとめると、
以上が、疑問です。
一番怖いのが、今回の松浦氏が書いたように、安易に「科学分析によって贋作である事が判明していた」という結果だけを引用する人達が増え、それが一人歩きすることです。
どうせなら、「佐野乾山」を再度、きちんとした所で科学分析にかけて白黒をはっきりさせた方が良いと思います。
しかし、その時の条件として「真正」と呼ばれている乾山も同時に鑑定すべきです。
「佐野乾山」の問題は、それ自体の真贋の他に、今まで「真正」と言われていた乾山の見直しも求めています。
森川氏は、当時「真正」と言われていた乾山も8割方あやしいと指摘しており、それが贋作派の反感を買ったと言われています。実際、それまで「真正」と言われていた乾山にしても、きちんとした科学鑑定がなされている訳ではありませんので「佐野乾山」だけを贋作とするのはフェアではないと思います。(実際、その多くに対して疑問を持つ人も多いと思います)
最後に。私が言いたい事は、下記の2点です。
(Since 2000/06/03)
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