最近、46年前の「陶説」(日本陶磁協会)を読むのがマイブームとなっています。その中で面白かったのものを一つ紹介します。
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●1962年7月号
陶器随想 長谷川已之吉
佐藤、磯野両君は、陶磁協会の中心的指導者である。此の重要な座にある指導者が、「永仁の壺」事件当時は口を減して何の発言もしなかったのに、一年すぎて、陶説三月号、四月号に左の発言をしている。
三月号 磯野 ― 「永仁の壺の時は被害者が加藤唐九郎君のパトロンや知己で、金銭の損害も、唐九郎君の現在の茶碗の一個か二個にしかならない。だから唐九郎君にうまく一杯喰わされたよ、と笑ってすんだのである。」
四月号 佐藤 ― 「永仁の壺は加藤君が十数年に渡って仕くんだ大芝居でした。金銭上についての被害はほとんどありませんで、むしろ笑いごとで終わった様です。」
人間の倫理観、指導者の常識が、此の如く狂って来ると私には理解しかねるのである。
金銭に関係がなければ、友人を犠牲にし、精神的に大きなキズをつけて、笑ってすまされる人間は悪魔でなくてなんであろう。(中略)
別な見方からすれば、特権階級の如く我々の上にあぐらをかいて居る重美審査員を悉く笑い物にした加藤唐九郎の詐為行為は痛快であり、今後の教訓とはなったが、それだからと云って、かかる詐為によって友人の小山さんをだまし、社会問題となって文化財の信用を軽からしめた罪悪は許せないものであろう。小山、加藤の偽らざる懺悔録が発表されない限り、私達には其の真相は分からないが、金銭上に関係がないから笑ってすまされるというコモンセンスは私には不可解である。佐藤、磯野の意見が公表されなければ、それは個人的なものとして看過できるが、これが中心的指導者であり、その機関誌に二人とも同じ意見を発表しているのを見ると、今後の若い人達に及ぼす影響を惟い、私のようなサムライは黙過することはできないのである。
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長谷川已之吉氏というと第一書房を起こした(岩佐又兵衛の「山中常盤物語絵巻」の海外流出を防ぐために全財産を投げ打って買い取った)人くらいしか知りませんが、御本人なのでしょうか?
当時の陶磁協会にも正論を述べる人が居た事を知って安心しましたが、それにしてもこれだけの内部批判記事を載せるとは、「陶説」恐るべし!(^^)
(そのすぐ後ろに磯野氏の言い訳が続くのですが...)
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