再々ウィルソン氏の主張に関して


ウィルソン氏の贋作説の根拠は?



リチャード・ウィルソン氏の「尾形乾山 全作品とその系譜」第二巻資料編の194ページに“新佐野乾山”なる項目があり、佐野乾山の記述があります。ウィルソン氏は、篠崎氏の発見した佐野乾山と区別するために、佐野乾山事件の対象となったものを“新佐野乾山”と呼称しています。この名称には如何にも新物だというイメージを植え付けるような作為を感じます。
このHPにも書きましたが、そこに掲載されているものうち森川氏の所蔵品と思われるのは2個だけでその他のものはどこから持ってきたのかと思うような作品です。それに対してウィルソン氏は、以下のように書いています。

乾山焼の代表作品を、昭和時代に模倣した最大グループである。
事件当時の記録によれば出現作品は七百点にも及ぶ
というが、釉下色絵・色絵を主とし、乾山晩年の作であることを意識したものか、高火度焼成の作品はみあたらない。
しかし、黒絵具はうすくなると緑色を呈する近年のもの(大正黒)、筆画においても近代日本画を基礎とした遠近・片ぼかし・陰影などの技法により、きわめて最近の作であることが判明する。わけても現存中の陶も画も交ぜ合わせた絵付けは、乾山ばかりか宗達から其一へと、さらには模倣作品の模倣もあるなど、制作者の不用意さはあらゆる面に表出している。落款も現存作品が手本であり、字形、また、書の空間・分散・配置のセンスも、乾山のオリジナルとは明らかに異質である。
もとより高額な金銭に結びつく作品ではない。(第二巻資料編の194ページ)


この本に掲載されている佐野乾山は、森川氏が所蔵していたもの以外は私が見てもダメなものが多いので、まずは何故このような品を選択したのか不思議です。何故、森川氏の所蔵品、バーナード・リーチ氏の本に掲載されていた品で判断しないのでしょうか?
どう見ても、森川氏の所蔵品と同手とは思われない作品をもって“新佐野乾山”は模倣品と書くのは、不適切だと思います。この手法を使えば、“鳴滝乾山”に関しても同じように否定する文章を書くことは可能だと思います。

また、「事件当時の記録によれば出現作品は七百点にも及ぶ」というのは、どこに書いてあったのでしょうね。私も昭和37年前後の資料はかなり見ましたが、そんな記録は見たことがありません。森川氏の集めたものは、200〜300点だったはずですが...。

>わけても現存中の陶も画も交ぜ合わせた絵付けは、乾山ばかりか宗達から其一へと、
>さらには
模倣作品の模倣もあるなど、制作者の不用意さはあらゆる面に表出している。

贋作との前提で書いていますが、本物であれば全く問題ないと思います。
佐野で土地の分限者から「鳴滝時代」の絵柄を描いてくれと頼まれれば、同じ絵を描いたでしょうし、宗達は琳派の祖ですから乾山が同様の図柄を描いたとしても何の問題もないのではありませんか?(模倣は琳派の伝統?)
其一に関しては、どの作品を言っているのか不明なので分かりませんが、乾山の作品を其一が模倣したと考えればありうる話です。
更に、“
模倣作品の模倣”の記述ですが意味不明な記載です。模倣作品というのは本物があってこそのものです。オリジナリティー溢れた模倣作品などないのですから(笑)、模倣作品は乾山のオリジナル(佐野乾山)を模倣したものと考えられます。すなわち、“模倣作品の模倣”と言われるものが乾山のオリジナル(佐野乾山)で、それを模倣したものが模倣作品であったと考えれば何の問題もないと思います。(ウィルソン氏がどれを指して書いているのか不明なので言葉の遊びになってしまいますが...)
すべてが昭和の作品だという前提で考えるからおかしなことになるのだと思います。

それにしても、ウィルソン氏が言う昭和の作品だという証拠はどこにあるのでしょうね?
(例の「大正黒」だけだとしたら、お寒い限りですが...)


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