リチャード・ウィルソンの「尾形乾山 全作品とその系譜」
●はじめに − リチャード・ウィルソン氏の経歴
|
●佐藤雅彦氏と山根有三氏がウィルソン氏に期待したものは?
私は9年ほど前、当時の京都市立芸術大学学長の佐藤雅彦氏の紹介でウィルソン氏を知ったが、以後毎年来日される度に会い、一緒に乾山焼の各コレクションを見学したり、光琳、乾山に関する多くの鋭い質問を受け、次第にウィルソン氏の人柄と彼の本格的な乾山に取り組み熱意に、深い感銘を受けるようになった。(中略) |
●佐野乾山に関する記述に関して
ウィルソン氏の記述 | 私のコメント |
1月28日、毎日新聞は、二百余点に及ぶ新佐野乾山作品の発見を報道したのである。栃木県佐野市に一挙に大量な乾山焼の出現を伝えるこの出来事は、それに加えて乾山みずからが認めたという手控え十四点をともなっている。かつて昭和の初期の調査でもわずか数点の作品しかみあたらなかった地方都市に、忽然として乾山が甦ったような事件である。 |
|
しかし、出川直樹の「いまだに謎をはらむ『佐野乾山事件』」でも語られるように、多くの贋作との意見をもった人びとが、今も堂々とみずからの思うところを主張するのに反し、真作説に走った側は、しだいに口を閉ざして弱腰になり、結局、世間一般は贋物事件としての一件落着を憶測するようになるのである。 |
|
さて、昭和37年に起きた新佐野乾山事件は、乾山の佐野行、別して昭和10年代の篠崎および他の一連の佐野乾山研究を十分に調べた上で、創作されたものかと思われる。 |
|
新発見の佐野手控帖を本物と信じさせるためには、滝沢家蔵の「陶磁製方」を紙質調査した結果、同書の用紙は二十世紀に製造された紙であり、文字も初代乾山の書ではないとリーチに伝える。リーチは追って誰が紙質調査をおこなったのかと問い返せば、森川・水尾などのいわば佐野事件の本物説を取った人びとの名が揚げられている。果たして彼らは滝沢家にある「陶磁製方」を、どのようにテストできたのであろうか。ましてやその道の専門家ではない人びとに、いかなるテストがほどこされ、何を理由に二十世紀製の用紙であると判断されてことであろう。 |
|
相対的な乾山に関する知識はもとよりのこと、佐野の事情や土地柄に精通した人物、とくに参考にすべき篠崎論文、すなわち昭和10年代の佐野乾山研究を十分理解しえた人物がいる。美術史家、または郷土史家の類である。そして日本画に心得のある者、俳句や詩文、さらに陶法にくわしい人物らの姿が浮かぶ。(中略) さて、それら売買できるルートに結びつけ、仲介人の活躍を待つ。最後は何も知らない外国人の陶芸家を招き入れて、その名声を利用する。バーナード・リーチの登場である。 |
|
当時のリーチは、75歳の高齢で、ほとんど白内障から視力も衰え、興奮することによって精神の安定を欠いていたとジャネット氏は回顧する。 |
|
●佐野乾山の写真:何これ?...
これまで私が見たことのない「佐野乾山」の数々
●最後に
(Since 2000/06/03)