なぜ「佐野乾山」以外は批判されないのか?


普通に頭に浮かぶ素朴な疑問ですが...


陶説」1962年9月号に保田憲司氏の『新発見「佐野乾山」画源考』という一文があります。これは、「佐野乾山」は偽物であり、その描かれた絵の本絵の出所を書いているものです。

例えば、「佐野乾山」に描かれた滝の絵は、小林太市郎氏の「乾山」の口絵に掲載された『乾山滝山水絵茶碗』に描かれた鳴滝の滝を真似したものだろう、と言った具合です。別に鳴滝の滝のマネをしなくても佐野にも立派な滝があると思いますが、そんなことは考えていないようです。

また、「佐野乾山」の向付で御自分の所有されていた「錆絵手、光琳菊絵茶碗」のマネをされたと描かれています。しかも、御自分の茶碗は数少ない江戸窯の作品であると自慢されています。乾山が江戸に下った頃に光琳は当然亡くなっていますので、何故「光琳菊絵」なのかは分かりませんが...。

陶磁器の絵付けは何らかの元絵(粉本)があるでしょうから後付けの理由はどうとでも付けられるので、この議論に意味があるのかどうか分かりませんが、読み物としてはなかなか面白いものです。

この中で気になったのが、小林氏の「乾山」所載のものは京都にある「乾山堂」の大正初期の作品である、とか他の品は、具眼者には共箱も偽筆偽作であり、本体の皿も「乾山堂」の贋作であると述べていることです。これらは、「佐野乾山」の絵は、ニセモノの絵を真似たものだと揶揄するために出されたものですが、それがなければ指摘されなかったものでしょう。

「佐野乾山」に関しては、みんなこぞってニセモノだと声高に主張するにも関らず、なぜそれらのニセモノは批判されていないのでしょうか?

松本清張氏が主張したように「なぜ自分たちのものに協会は批判を加えないのか」ということを再認識させられる一文でした。


(Since 2000/06/03)

佐野乾山に戻る

Mainに戻る