ギャラリーフェイク


藤田玲司の見た「佐野乾山」...


細野不二彦氏の「ギャラリーフェイク」という漫画があります。元メトロポリタンミュージアムの有能なキュレイターであり、抜群の修復技術を持った藤田玲司が主人公で美術界の裏側まで描いており、私の好きな作品の一つです。その文庫版の6巻に「タブーの佐野乾山」と題して「佐野乾山」問題を描いたものがあります。
藤田所有の乾山が「
ズバズバ家宝鑑定局」という番組に出され、藤田本人もひょんなことからその番組に鑑定士として出演することになり、陶磁器の鑑定士である、青山新ノ輔と対決することになります。

青山:プロのわれわれの間にはこういう言葉があります。乾山を見たらニセモノと思え!!
   それほど乾山のニセモノは昔から多く作られているのです! そうですな、ギャラリーフェイクの   フジタ先生。
藤田:おおせの通り!

    (二人の鑑定額は、青山:5万円藤田:800万円
とでる)

青山:フジタ先生はメトロポリタン出身で、洋画や彫刻にはお詳しいかもしれませんが、この分野は苦手   のようですね。日本の骨董は奥が深いので ときに鑑定ミスがあっても当然ですよ!
司会者:するとこの皿は?
青山:まっかなニセモノです。よくできてはいますがニセモノとしてはこんな値段でしょう。
藤田:いや・・・私は本物だと思いますね。それもただの乾山ではなく――
   真正の“佐野乾山”と見ましたのでこれほどの額は当然だと思います!!
青山:佐野乾山!? フジタ先生墓穴を掘りましたな!
   よりによって佐野乾山の名前を出すとはおどろいた! その名は骨董の世界ではタブーといって
   いい!
   “佐野乾山”と聞いて眉にツバしない専門家はいません!
藤田:何と言われようとそれが私の鑑定です。あなた方にとってはタブーでも私にはどうでもいいことで
   してね。


どうです?なかなか面白い展開ですよね。(笑)ついでに佐野乾山に関する説明を紹介します。

藤田:佐野とは今の栃木県の佐野市のことだ。乾山が晩年佐野に招かれて作陶したという言い伝えがあるため、この時代の作品を“佐野乾山”と総称している。
ところが昭和37年に佐野乾山をめぐる事件がまきおこった!? 佐野市のいくつかの旧家から200点にのぼる佐野乾山が見つかったのだ。京都のあるコレクターがこれを買いあさったことから、それが発覚した。
この佐野乾山の真贋をめぐって専門家の意見は真っ二つに分かれた。論戦はマスコミをまきこみ、学者、文化人入り乱れてのテレビ討論会、はては衆議院の文教委員会まで持ちこまれる大騒動とあいなった
論戦は膠着状態となり、やがて世間の関心も薄れていった。
佐野乾山には“疑惑の焼き物”というレッテルだけがはられた! 以降、現在に至るまでこれに手を出す古美術商はなく、美術館では研究すら行われていないというありさまだ!


なかなか良く調べていますね。某研究家よりもずっと公平な眼で書かれていると思います。
特に「
論戦は膠着状態となり、やがて世間の関心も薄れていった。」という表現は的確ですね。
そうなんです。決して、論戦で贋作派が有利だったわけではありません。真作派の方が有利だったという見方もできます。その後、真作派の人達が発言しなくなったので、贋作派が強く見えるだけなんです。

しかし、惜しいことに、相変わらず衆議院での議論があったことは書かれていますが、そこで何を議論されたかに関しては、何も書かれていません。しかし、これは細野氏のせいではなく、最近の本にその内容を書いたものがないのでしょうがないことだと思います。(故意なのか無知なのかは分かりませんが...。)
実際には、国会で

われ誤てりという藤岡了一さんの見解が出れば、これは落ちついてしまいます。しかし藤岡さんの見解として反論が出てくれば、これは君の言う定説というようなものは当分私は尾を引いてくる。・・・ 従って私の見解は、藤岡さんが再び反論をして、自分の説が間違いなかったということになれば、これは落ちつくところへ落ちつくどころの騒ぎではない。つかまされた人は憤慨するし、えらい問題が起きるのではないか、こう思っているので、あなたの説、落ちつくところへ落ちつくという説は、いささか私どもには承服できないところがあるのですが、それはいかがですか。

という
濱野清吾氏の発言で文化財委の清水事務局長に藤岡氏が反対派に対して反論しないようにという圧力を掛けていたわけですから、全然“論戦は膠着状態”などという状況ではありませんでした。
それを知ってか知らずか、「
真贋議論の詳細に関しては、当時の文献を参照されたい」との旨の記載して済ませている研究家がいることは本当に情けないことです。


(Since 2000/06/03)

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