お客さまの部屋

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208. 藤田嗣治について ケイさん   2006/04/29 (土) 11:20
東京の近代美術館で藤田嗣治展をやっています。
これまで、いろいろな問題がからみ画集さえまともに出版されていなかった藤田嗣治ですが、この展覧会を機会にマスコミへの露出度が急激に上がっています。
もともと人気・評価の高い画家であり、このHPにあるように当時の日本を裏で支えた国士の一人でもあります。もともとフアンであった私としては、もちろんすぐに展覧会に行きましたが、このマスコミの浮かれようには「?」と感じてます。
このバブルは、すぐに弾けてしまいそうでいやな感じがします。




207. Re: 練馬の展覧会 ケイさん  2005/10/21 (金) 00:12
海さん

同じ日に練馬に行かれたようですね。佐伯が人気があるのは知っていましたが、あれほどの人が集まるとは正直言って驚きました。都心でやっている展覧会と違って地元の人と思われる年配の方が多かったのも、心を和ませてもらいました。




206. 練馬の展覧会   2005/10/19 (水) 21:27
練馬の展覧会の佐伯、どれもオリジナルに比べ、絵の具の
量少なかった。オリジナルはもっとゴテゴテと絵の具が塗り
たくっていて迫力あります。(オリジナルを見ました)




205. 練馬の展覧会   2005/10/17 (月) 23:06
私も先日、練馬美術館の展覧会に行きましたがたくさんの入場者がいてびっくりしました。佐伯の絵、一つ一つ見ましたが、どう
みても佐伯の絵ではないと思われるものがありました。何故、再検討をしないのでしょうか。それに何故、吉薗さんの佐伯を無視
するのでしょうか。残念でなりません、というのが感想でした。




204. 練馬の佐伯祐三展 ケイさん  2005/10/16 (日) 20:54
練馬区立美術館で行っている佐伯祐三展に行ってきました。
今日は、ギャラリートーク「佐伯祐三の油彩技法について」があったので、少し早めに行ったのですが、入場券を買うのに館の外まで人が溢れていたのにはビックリです。館内もかなりの込み具合です。3年前に行ったブラマンクとの展示会の時は、それほど混んでおらずゆっくり見る事ができたのですが...どうしちゃったのでしょうか?
更に驚いたのが、ギャララリートークに参加する人がロビーの所に溢れており、階段や2階のテラスにも人が鈴なり状態でした。マイクなしで始めようとしたら、後ろの方から「全然聞こえない!」、「マイクを使ってよ!」という怒号が飛び始め、急遽マイクを用意したり、4時からも追加で行うようにしたりと大変でした。講演の内容は、それほど踏み込んだ内容はなく、期待したほどでもありませんでしたが、「佐伯祐三の油彩技法について」というどちらかというとマイナーなテーマにあれだけの人が集まったということに吃驚しました。
来週の23日までやってます。佐伯の絵をほぼ網羅的に展示していながら、500円というお得な展示会だと思います。
また、今回の図録は非常に良くできており、感心しました。




203. Re: どなたか教えてください ケイ  2005/09/07 (水) 22:33
茶さん、

鑑定団は見ていませんでしたが、HPを見ると初期の絵のようですね。あの絵でも1000万円とは驚きです。そんなにするのかな〜。もしそうだとすると、吉薗佐伯はとんでもない値段になりそうですね。(だから市場に流れると困るのでしょうが…)
米子に関する情報は、HPに書いてある部分くらいしか知りません。ずいぶんと派手な生活をしていたようですが。
どなたか情報があれば教えてください。




202. Re: 陶器協会って… ケイ  2005/09/07 (水) 22:27
セイさん

陶磁協会の情報ありがとうございます。この件は知りませんでした。協会の中は、相変わらずなんですね。そうだと思ってました…。(^^)
「40年経つと変わっている」って書きましたっけ?
あ〜、あれですね。あれはフィクションです。(笑)
渡辺氏の本の入手方法ですが、申し訳ありませんが、私も分かりません。自費出版のような感じです。




201. どなたか教えてください   2005/09/06 (火) 19:39
はじめまして。先週なんでも鑑定団をみて佐伯祐三の存在をしりました。絵や美術にはまったく無関心な私ですがなんだかとても佐伯祐三のことが気になり、また大変絵が気にってこちらのサイトをみつけました。とっても興味深く、はまると調べまくる癖があるので毎日読んでいます。とても手の込んだすばらしいサイトをありがとうございます。何度読み返しても飽きません。くだらない質問かとおもわれてしまうかもしれませんが、佐伯米子が日本に帰国後の情報がネット上では探せません。(もしかすると本などにはあるのかもしれませんが)亡くなったこと、それから帰国直後のこといがい、彼女がどんな人生を送ったのか気になるのです。どなたかその部分をご存知のかた、またそのことがわかる本やサイトがありましたらおしえてください。よろしくおねがいします。




200. 陶器協会って… セイ  2005/09/05 (月) 22:59
佐野乾山については一般的な知識しかありませんでしたが、奥が深いんですね。
知らない事ばかりで、驚きです。特に事件が起きた当時の芸術新潮が真作寄りだったとは知りませんでした。
渡辺氏の本も面白いですね。どこかで購入可能なのでしょうか?
HPでは、陶磁協会も40年経つと変わっているような事を書かれていましたが、

http://www.j-ceramic.jp/tosetsu/branch.html

の京都支部会の所に、こんな事が書かれていますよ。あまり変わっていないようですね。
−−−
一方、乾山の半筒茶碗は正面に鉄絵があり、反対側に乾山自作の漢詩が記された典型作。文人画を眺める趣きだった。小田理事は佐野乾山の図録と対比させながら、その歴然たる差を楽しいエピソードを交えてお話くださり、一同笑いのうちに納得した。




199. 荻須 ≒佐伯 ケイ  2005/05/23 (月) 22:37
川越市立美術館でやっている「巨匠たちのパレット&絵画展」を見てきました。
日動画廊が所蔵している絵画とパレットを展示していました。
(梅原、安井、鴨居、ダリ、ピカソなど30点余り)
その中に荻須高徳の絵が一枚展示してあったのですが、びっくりしました。
荻須とサインが無ければ佐伯祐三と見間違える絵です。その絵だけ制作年代が書かれていませんでしたが、1927年ごろの作品でしょうか。
ぼそぼそとした太い描線に看板の細い文字が踊っています。どう見てもその看板だけ浮いて不自然に見えます。
良く見てみるとその看板の部分だけ光沢がありません。吉薗手記にあるようにグァッシュで描いてあるのでしょうか?
(それこそ取ってつけたような感じです...(^^) )
佐伯の絵は、必ずその上に油を塗っていると思いますが、米子の指導もきちんと伝わっていなかったのでしょうか。
評論家達は何と説明しているのでしょうね。




198. Re: はじめまして ケイさん  2005/03/06 (日) 00:55
玲碧さん、

書き込みありがとうございます。
甘粕氏に関しては、ほかに情報があまりないため、現状のように歪められた甘粕像がまかり通っているのでしょうね。
周蔵手記を読むと、普通の人と変わらない印象があり新鮮ですよね。ただ、周蔵手記にも「甘粕さんは性格がきつい」と書いてありありますから、他の人には厳しい面も有ったのかも知れませんね。
これからもよろしくお願いします。




197. はじめまして 玲碧(れいあ)  2005/03/05 (土) 19:52
横レスしてすみません。
はじめまして。
私の親戚は甘粕さんの妹さんと結婚しておりまして、つい最近まで弟さんが御存命だったとは知りませんでした。
私の一族も皆あまり甘粕氏のことについて語ることがありません

文献によっては中傷的な書き方をされており、真実が歪められている様な気がしてならないのです。
此処を訪れてはじめて甘粕氏の人間性が見えてきました。

貴重な情報をありがとうございます。




196. Re: レスありがとうございます ケイさん  2005/02/23 (水) 00:16
早速のレスありがとうございます。
私も高校の日本史の授業で、甘粕事件を禍々しく説明する教師に違和感を感じました。
正彦氏は、このHPにあるように周蔵氏と非常に懇意であったようです。周蔵氏の手記を見ると映画や小説で不気味に描かれている正彦氏とは全く別人のような印象です。
実際に身内に対しては、優しい人だったのでしょうね。




195. レスありがとうございます かす  2005/02/22 (火) 20:25
レスありがとうございます。小生の大叔父に当る正彦氏のことに
ついては祖父もあまり語らなかったといのが実態です。
21世紀を迎えるに当り朝日新聞で20世紀振り返るということで
祖父の所に取材があり、甘粕正彦氏のことについて語ったことが
ある程度です。小生もその際取材を受けました。小生は、
予備校で正彦叔父をただの人殺し呼ばわりしている先生が居たので、
くって掛かったことがあるくらいです。
祖父とは戦争のことについてあまり語り合いませんでした。
喧嘩になってしまうんですよね。明治生まれは頑固者で・・・。
祖父の死に当りこのHPを知りました。祖父の遺品から正彦氏からの
手紙とか何か出てこないか探してみます。




194. 甘粕氏のご兄弟の件 ケイさん  2005/02/21 (月) 23:52
甘粕正彦氏のご兄弟が最近までご存命だったとは知りませんでした。
貴重な情報ありがとうございます。
甘粕正彦氏に関しても何か情報がありましたら、ご紹介下さい。





193. 甘粕正彦の最後の実弟死去 かす  2005/02/20 (日) 10:41
甘粕正彦氏の弟・照仁氏(初名五郎)が2月15日お釈迦様の命日に98歳で
亡くなりました。インフルエンザをこじらせた結果でした。
2月17日名古屋の吹上愛昇殿で無事葬儀は終了しました。
小生は照仁の孫です。突然失礼いたしました




192. 『乾山』入手! ケイさん  2005/01/29 (土) 17:52
久し振りに神保町の古本街に行ってきました。
よく行く陶磁器専門の店でバーナード・リーチの『乾山』を発見! でも1万円...。この本、ネットでは7,000円が最低価格で、気になっていました。
中身を見ると、佐野乾山に関する記述が多くあり、写真でも多く紹介されている。
「う〜ん、欲しいが一万は高い」と思い、止めました。
諦めて帰ろうと思いましたが、一応ほかの店も見てみようと思い隣の店に...。7,000円であれば即買いなんだけど...。と思って探したら、何と4,000円で売っているではありませんか! 即、ゲットです。
やっぱりこういう本は、専門店じゃない方が安いな〜。




191. 本年もよろしくお願いします ケイさん  2005/01/02 (日) 02:10
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

昨年末から、「佐野乾山」がマイブームとなっています。(笑)
真贋に関しては、よく分かりませんが少なくともまっとうな議論がされないまま、黒いイメージが付いたままとなっています。
今日(もう昨日になってしまいましが…)川越の骨董市で、自称八世乾山の山本如仙を扱っている店で、如仙の本をゲットしてきました。
HPにも内容を紹介しておきましたので、ご覧下さい。
毎日新聞は何故、これほどまでに佐野乾山をニセモノにしたいのでしょうか?




190. HPの品について ケイさん  2004/11/13 (土) 16:45
天に向かってツバさん、

HPのご紹介ありがとうございます。
私には、よく分かりませんがこのような物はかなり日本に流れてきているのでしょうか?




189. 元代染付けについて 天に向かってツバ  2004/11/09 (火) 19:17
ごぶさたしております
少しですが元代の染付けを載せました
唐代きん窯の下に歴代ぼう古として元代にあります

それも一番下になります お時間のあるときご覧ください
http://www5f.biglobe.ne.jp/~meiyonosubete/




186. Re^2: 安宅コレクション ケイさん  2004/08/30 (月) 00:00
天に向かってツバ さん、

中国陶磁器の現状に関して解説ありがとうございます。
これに関しては、私は全然知識がないため参考になります。
国策として倣古品の制作を奨励するなど、戦前の日本のようですね。(^^)
吉薗手記によると鈞窯、龍泉窯、天目や清朝の琺瑯彩等は比較的、倣作が簡単との事ですから要注意ですね。




185. Re: 安宅コレクション 天に向かってツバ  2004/08/23 (月) 10:13
> 天に向かってツバ さん、
> 落合先生によると、台湾の故宮博物院のコレクションは、
> @元染付が一点もない
> A釉裏紅にろくな物がない(奉天古陶磁を考慮した場合という意味でしょう)
> B明代官窯の赤絵がないこと。
> というように中国陶磁史を考えた場合、非常に偏ったコレクションだということです。

ご解説、ありがとうございます。1年足らずの浅学から申し上げても、両故宮に、景徳鎮以前、つまり1300年以前のものが、ほとんどないと感じます。

現在、中国政府は自前鑑定団(文物局OB)、オークション会社(政府肝いり)を組織し、プチバブルを演出しています。主に世に出た元、明、清代の量産期のものが、当然中心です。

方や、ぼう古を国策の様に磁器研究の名のもと奨励し(当然地域振興策で認められますが)、なかに、美術業界を犯しかねない(事実、コピー品をずいぶん買いましたが)状況になっています。
そして、権威(鑑定です)の政府専売と(悪く言うと)なります。
コピーで有名なのは現在、北宋期 汝、定、か、官、そして唐宋代のきん窯に思われます。

ポスト景徳鎮の現状
@北宋 官窯、汝、か窯の優品は博物館に絶無(しかし市場には出ている)汝は南宋期キヌタ青磁同様、出墓品のため、あといくつ市場に出るか、誠に不透明で、価値判断に迷います。
A五代 柴、呉越、南唐墓出墓品もわずかですが市場に見られます。
B唐代 太宗墓(昭稜)、高宗(乾稜)、玄宗期(キヒ墓)の出墓文物も(主にばいちょうですが)、文革動乱期流出でしょうか出ています。三彩以外の唐代キン窯(か窯金糸鉄線を含む)が重要と思います。キンを30余り買い付けました。




184. 安宅コレクション ケイさん  2004/08/07 (土) 00:25
天に向かってツバ さん、

書き込みありがとうございます。
しばらく留守にしていたため、返事が遅れて申し訳ありません。
最近の中国美術品の大量流入とそれによる価格の暴落に関しては、私も不可解に思っていますが、私自身はコレクターでも専門家でもありませんので静観しております。
孔家きん窯に関する情報ありがとうございます。早速探してみます。

安宅コレクションに関しては、落合先生によると「法花花鳥文壺」を筆頭に3〜7点が奉天古陶磁からの流出品との事です。紀州徳川家からどのような経路で安宅に入ったか興味深い所です。
また、落合先生によると、台湾の故宮博物院のコレクションは、
@元染付が一点もない
A釉裏紅にろくな物がない(奉天古陶磁を考慮した場合という意味でしょう)
B明代官窯の赤絵がないこと。
というように中国陶磁史を考えた場合、非常に偏ったコレクションだということです。上記、3点を補うものが紀州徳川家に入った奉天古陶磁だと言う事です。




182. 贋作の奨励 天に向かってツバ  2004/08/03 (火) 16:10
安宅コレクションの収蔵の顛末を探している内、つい迷い込んで、結局清朝旺品の流出、また関東軍の贋作という事件の顛末も、はからずに知る事ができました。有難うございました。

この4,5年の中国美術品の大量流出(日本へは流入)に関し、以前から興味があり、近年職業的にも収蔵(主に磁器)している者です。最近上海の業者がよこした物にカ窯の“金糸鉄線”と思われる物が2点あり、仕事初めの身にはサイサキ良き事と、数ヶ月前までは思っておりました。

今日現在まで判明したことは、およそ1300年以降はかなり正確に、旺品は両故宮に半数ですが収蔵され、あと半数が流出中という事です。これは別に驚くことではありませんが、600年から1300年の旺品が多量に含まれる点です。これらは清代の豪商の収蔵と考えます。故宮、旧安宅が1級文物ならば、これらは、遥かに価値を持ちます。

前置きが長くなりました。孔家きん窯(HP)を一度ご覧ください。
主に唐代きん窯のコピー(本当に素晴しいものですが)を文革後、国をあげて現在作っております。20余り会社、工房があるようですが、そのうち4つ程は、唐代に実際あったと思われる銘のようです。国の名誉が復古に掛かっているようで、自前の銘を誇りにしています。このこと自体が、特にわが国に知られていません。

天に向かってツバをはきます。
金糸鉄線はおよそ唐代の武則天の時代に作られ、北宋期、その技法は失われた様です。当時、00きん窯の銘が、武后文字で押された様で、明代の万暦期、神宗のヒキで消されたのかと、勝手に想像しています。ほか4点、カ窯の銘消しがあります。当然、現在、真品と坊古が日本にも来ております。ただし現在、勢い込んで買い込んでいるのは当方くらいと思います。まだ実害は出ておりません。




181. 小林女史の記述は... ケイさん  2004/07/12 (月) 22:37
フェルメールの大家となられた小林女史の記述は…。

『フェルメールの世界』小林頼子 NHK BOOKS P200より
1908年にベイト卿が購入した《ヴァージナルの前の女》は、戦前はフェルメール作品として称賛されたが、戦後になってフェルメールの手から外された作品である。明暗のあまりに極端な処理や、単純なハイライト、素材感の描き分けへの徹底した無関心は、フェルメールのどの時期の様式にも合致しないが、意匠それ自体は、明らかに《ヴァージナルの前に立つ女》、《ヴァージナルの前に座る女》といった作品を想起させる。それら2つの作品に見られる要素を混ぜ合わせた1800年頃のパスティーシュ作品というデ・フリースの判断に与したいと思う。
こう言った個人的な印象評価に対して、今回は科学的な分析が勝った訳ですね。
それにしても小林女史は相変わらず「明暗のあまりに極端な処理」、「素材感の描き分けへの徹底した無関心」というような表現を使ってますね。(笑)
ただし、科学的な分析というのは、追試が可能な分析である事が重要です。でも、32億で売れるのなら大抵の事(良いことも悪いことも)はするし、できるだろうな〜とは思います…。




179. 本物だったフェルメールの絵 ケイさん  2004/07/12 (月) 00:49
「本物だったフェルメールの絵」
17世紀のオランダの画家フェルメールの作品「バージナルの前に座る女」が7日、ロンドンの大手競売商サザビーズでオークションに掛けられ、1,620万ポンド(約32億6,000万円)で落札された。
フェルメールの作品がオークションに登場するのは1921年以来。
この作品には贋作との疑惑が浮上していたため、フェルメールの作品リストから外されていた。しかし、10年間にわたって絵の具の科学的分析やキャンバスのエックス線検査などを行った結果、フェルメールの作品と確認された。
オークションは300万ポンドから始まったが、瞬く間に値が跳ね上がった。
【読売新聞 2004年7月8日 夕刊】

なかなか興味深い記事です。




178. Re: 御礼 ケイさん  2004/06/27 (日) 22:21
小林様
書き込みありがとうございます。返事が遅れて申し訳ありません。
拙HPへの過分なコメントありがとうございます。
また、吉薗周蔵氏に関して興味を持たれたとの事で、このHPも少しは役に立っているようですね。(^^)
吉薗手記に関しては、昭和に入ってくると現在の国益や個人の利害と関連する事柄が多く、落合先生もその辺を苦慮されているようです。これからも公開できる範囲で紹介していきます。
芹沢氏と周蔵氏はかなり懇意だったようです。

>社会には不真実がまかり通っていますので、この作品の意義の大きさを感じ取っていくことに価値を覚えます。

昨今は、企業のコンプライアンスが重視されていますが、美術界はこんな風潮には無関係のようです。そのため、結局は自浄作用が働いておらず落合先生のような方が外部から指摘するしかないようです。
同じ川越在住ということですのでこれからもよろしくお願いいたします。




177. 御礼 小林茂樹  2004/06/25 (金) 17:03
落合莞爾氏の「天才画家佐伯祐三真贋事件の真実」というご本を読みまして,その関係で貴方様のホームページを閲覧できました。解説をしてくださいまして、よく理解できたように存じます。美術関係の知見はまったく持ち合わせぬ立場ですが、落合莞爾氏の調査分析力に感服しましたことと、やはり、吉薗周蔵氏の人物像にたいへんな興味をいだいたことで、「はじめに」のコメントに同感と感謝の気持ちをいだきまして、て、メッセージする次第です。
社会には不真実がまかり通っていますので、この作品の意義の大きさを
感じ取っていくことに価値を覚えます。
私は川越市在住61歳男性で芹沢光治良文学愛好会会員で、芹沢先生の関係から、佐伯祐三という画家のことについて少しの知識を有していました。ありがとうございました。




176. 小林報告書の疑問−おまけ ケイさん  2004/05/08 (土) 21:38
小林報告書の疑問−おしまい 

もう止めようと思ってましたが、もう一点追加します。
●周蔵とクレー作品
小林さんは、『周蔵日誌』に渡欧時にクレーの作品を入手したと書いてあり、また、明子氏がその作品が真作であるとの確認をした件を聞き、その検証をします。
その検証内容ですが、おりよく来日中のクレー財団の研究員に問い合わせを行って周蔵氏の名前がクレー財団に登録されているかどうかを確認します。その結果、彼の知る限り「無い」との回答であった、と記しています。聞いた人がどのような立場の人か明確ではありませんが、クレー財団として責任を持った回答とは思えないこの一件をとりあげ、小林さんは「明子氏から実際に作品を見せていただいていないため、最終結論には至らないが、誰もが疑念を持たざるを得ない点であることは言うまでもなかろう」と揶揄しています。
さて、小林さんはこの一件を以って何を証明しようとしたのでしょうか?
仮に明子氏が持っているクレー作品が「贋作」であった場合に何が証明できるのでしょうか。別に「贋作」であったとしても『周蔵日誌』の記述を否定することはできませんよね。周蔵氏が渡欧時に「贋作」を買わされた可能性も充分にあります。(当時、市場にクレーの贋作が存在しなかった事が証明できれば、そんな可能性はありませんが…(笑) )
もし、『周蔵日誌』の記述を否定するのであれば、実際の明子氏所蔵のクレー作品が70年前のものではない事を証明しなければならないでしょう。小林さんの書き方では、単に明子氏の所有のものは「贋作」なんだよと自慢げに言っている事にしかなりません。(実際には、上記のようにその根拠もあいまいですが… 落合氏の調査では「真作」と認定されているとの事)
どうも小林さんはピントがずれてますね…。この一点だけでは、最終結論には至らないが、小林さんの論の進め方には誰もが疑念を持たざるを得ない点があることは言うまでもなかろう。
いかん、いかん書き方が似てきた、こんな揶揄した書き方をしちゃ失礼ですよね。(笑)
それにしても、クレー財団に聞くのも良いけど、明子氏に絵を見せてもらえば手っ取り早いのでは?




175. 小林報告書の疑問−おしまい ケイさん  2004/04/24 (土) 23:48
小林報告書の疑問に関しては書いているときりが無いし、落合氏が綿密に反論をしていますのでこの辺で止めましょう。
問題はこれだけ問題の多い報告書が、ろくに検証もされないまま吉薗佐伯の贋作の論拠となっていることです。
この報告書でこれだけ杜撰な検証を行っている小林氏ですから、他の研究に関しても眉にツバを付けて見る必要がありそうですね。(^^)
(落合氏は贋作派から圧力があったと考えておられるようですが、私は本人の実力ではないかと見ています)




174. 小林報告書の疑問(5)-2 ケイさん  2004/04/24 (土) 14:29
周蔵氏が活動した時代は、第一次大戦〜太平洋戦争の時代です。少し前には明石元二郎が日露戦争で特務活動でロシア国内をかく乱し、石光真清も現役で活躍していた時代です。また、中村天風氏も軍事探偵だったと自分で言っていますし、武道関連では大気拳の沢井健一氏も中国大陸で特務活動を行ったと言われています。また、敬愛していた合気道の塩田剛三氏も著書を読むと畑俊六陸軍大臣の特務であった事が伺えます。そんな時代の常識で考えると、パスポート発行の記録がなかったとしたら軍関係のからみはなかったのか? という所まで突っ込んで調査して欲しかったですね。




173. 小林報告書の疑問(5)-1 ケイさん  2004/04/24 (土) 14:29
●海外渡航に関して

周蔵氏の海外渡航の証拠としてパスポートの発行を調査したが、見つからなかったためその結論として
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
上記いずれの調査の場合も、記録の不在を確認しただけで、周蔵が渡航「しなかった」ことの直接的証しにならないことは承知している。しかし、すべてが非公式の隠密の渡航であった、痕跡を残さぬ滞在であった、などという強弁は、記録の不在の説明にはあまりに不十分というべきである。記録の不在がかくまで幾重にも重なったとき、周蔵の留学もパリ訪問もなかった、と見るのが常識的な判断というものであろう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
このHPを読むと分かるように周蔵氏は陸軍の特務(いわゆるスパイ)であり、偽名を使っての海外渡航を行ったのでした。小林氏はそこまで深く考えずに「常識的」に判断したようです。まあ、常識は時代によって変わるものですから、ある程度はしょうがないと思います。今はみんな知っている北朝鮮の拉致問題にしてもちょっと前までは、「拉致なんてあるはずがない」というのが一般の常識でしたよね。工作員(いわゆるスパイ)の話をするとほとんどの人に「小説やマンガの読みすぎじゃない?」という目で見られていました。(笑)
しかし、小林氏は自書の中で「フェルメールは17世紀オランダに活躍した風俗画家である。かのフランス人の誤りは、その重要な一事に目をつぶり、17世紀絵画の世界と20世紀を生きる自分の感覚との間に何らのズレもないという前提を無意識のうちに選び取っていることだ。」(フェルメールの世界 3項より:1999年)
つまり、作品が描かれた時と現代の感覚のズレを無視してはいけないと言っています。その小林氏が70年前の常識については考慮もせずに現在の常識で判断を下しているのは「これまで指摘してきたいかなる齟齬にも増して奇怪な齟齬と言えよう。」 (^^)




172. 小林報告書の疑問(4)-2 ケイさん  2004/04/20 (火) 00:45
ここでも小林氏は、いろいろある可能性から理由もなく一つだけ取り上げてそれによって決め付けています。小林さんは、『周蔵日誌』と『サライ』が同じように山田を川田と間違っているから『周蔵日誌』は『サライ』の記事を読んで書いたと言いたいようですが、それは一つの解釈でしかありません。私は同じ事実を読んで
@明子氏は、周蔵氏から聞いた千代子の実家の姓を「川田」と勘違いしていた。
A『サライ』の記述を読んで「やっぱり川田で正しいんだ」と確信した。
Bだから、『サライ』の記事をそのまま引用した。
と解釈しました。それが正しいはどうかは分かりませんが、小林さんの考える理由以外にもいろいろな理由は考えられるという事は確かです。それなのに「これまで指摘してきたいかなる齟齬にも増して奇怪な齟齬と言えよう」と鬼の首でも取ったように断定するのは異様としか言いようがありません。(^^)
それに、いくら親しい友人の妻と言ったって実家の姓を間違っている事が、そんなに重要な問題なのでしょうか?




171. 小林報告書の疑問(4)-1 ケイさん  2004/04/20 (火) 00:44
●周蔵と薩摩治郎八夫妻(28項)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『周蔵日誌』が書かれた年代を考えるための、もう一つのちょっとした、しかし重要な事実的齟齬がある。(中略)知り合いの薩摩治郎八が「川田家ハ乃木サンジコミノ軍人ダカラ、ドーリー(引用注:千代子夫人)ハサレダケハ堅固ダヨ」ト語ったと周蔵は伝える。(中略) 「川田家」とは千代子の実家の名称に該当する。ところが、千代子の実家は、実際には山田家であって、川田家ではない。単なる勘違いだと見過ごすこともできる。しかし、千代子の実家を「川田」と間違えているのは『周蔵日誌』だけではないため、事はいささか深刻である。
『自由と画布』のなかで、明子氏は小学館発行の雑誌『サライ』の1990年10月号の「薩摩治郎八の育てたパリ芸術家の生活」なる記事を長々と引用し、薩摩治郎八と千代子の出会い、生活ぶりなどを紹介している。『サライ』の記事では、千代子の実家が何と「川田」と書かれているが、それも修正せぬままの引用である。(中略)
1990年の『サライ』の記事とそっくり同じ間違いが繰り返されているのは、これまで指摘してきたいかなる齟齬にも増して奇怪な齟齬と言えよう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
どうして小林氏はこのように揶揄したような書き方をするのでしょうか? こんな文章が武生市の公式資料としてまかり通っているのは不思議としか言いようがありません。まあ、それを言い出したらこの「小林報告書」はきりがありませんから、本題に行きましょう。




170. 小林報告書の疑問(3) ケイさん  2004/04/19 (月) 00:51
●省線に関して(27項)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
同じような単純な時間的齟齬は他に二つほどある。一つは『周蔵日誌』の大正6年9月30日の記述である。この日、周蔵は佐伯を「省線」で送っていったという。ところが、首都圏の国有鉄道が省線と呼ばれるようになるのは、鉄道省が設置された大正9年5月15日以降のことにすぎない。それ以前は鉄道院の管轄で、省線の呼称はなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
私も鉄道は詳しくないので、Webで検索してみました。国有鉄道の組織名は、

*明治10年1月11日 :工部省鉄道寮 → 工部省鉄道局
*明治18年12月22日:工部省廃止、鉄道局は内閣直属に
*明治23年7月1日 :内務省鉄道庁に変更
*明治25年7月21日 :逓信省鉄道庁に変更
*明治26年11月10日:逓信省鉄道局に変更
*明治41年12月5日 :鉄道院を設置(逓信省鉄道局と帝国鉄道庁を統合)
*大正9年5月15日 :鉄道省に変更

と変遷しています。小林氏は、明治41年〜大正9年まで鉄道院が管轄なので大正6年の時点では「省線」の呼称があるはずがなく「院線」であるべきだと言いたいのでしょうが、そうでしょうか?
明治41年に鉄道院が設置されるまで、逓信省が管轄の時代は何と呼ばれていたでしょうか? そうです。「省線」ですよね。Webを検索すると別のHPにもこんな記述があります。(清水沢駅の記述)
*明治39年10月 鉄道国有法により逓信省鉄道作業局に買収され省線となる。
明治時代に鉄道院になったのだから、大正6年では「省線」と言うのはおかしいと思うかもしれませんが、よく考えて下さい。大正6年の時点では明治41年に鉄道院が設置されてから10年も経っていないのですよ。私なんかは、いまだに「JR」なんて言わずに「国鉄」と言う事が多いです。(笑) 勝手に呼称を変えても、それが定着するまでは時間がかかるのは当たり前です。小林氏はどうしてそれを無視するのでしょうか? 単に気付かなかっただけかも知れませんが、少なくとも「それ以前は鉄道院の管轄で、省線の呼称はなかった。」と安易に言い切るのは明らかに間違いだと思います。
小林氏のこの報告書には、これに類した”思い込みによる決め付け”が多すぎますね。この報告書を承認した委員会の人達はちゃんとチェックしているのでしょうか?




169. 小林報告書の疑問(2)  ケイさん  2004/04/17 (土) 21:35
周蔵と新宿中村屋に関して (26項)
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『周蔵日誌』には、中村彝、柳、布施といった名前が頻出する。いかにも上記中村屋グループの人物たちを彷彿とさせるが、実際のところ、周蔵は本当に中村屋の当主や「中村屋グループ」の人々と行き来があったのだろうか。
『周蔵日誌』の「布施」なる人物がもし布施信太郎を意味するのだとすれば、その可能性の一画は明らかに崩れることになる。『周蔵日誌』では、「布施」は佐伯の下落合のアトリエのすぐそばに住んでいたことになっているが、布施信太郎は下落合からは遠い北区に居を構えていたことが縁者の方のお話から判明している。
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ここで小林氏は自分で「布施」を布施信太郎と仮定して論を進めて『周蔵日誌』の記述がおかしいとの結論を導きだしています。
でも、この仮定が違う(正解は布施一)のですから、わざわざ縁者にまで話を聞いた事も無駄になりましたね。(^^) ご苦労様でした。




168. 小林報告書の疑問(1) ケイさん  2004/04/16 (金) 01:48
●歌舞伎町について
*小林報告書は以下のように書きます。(27項)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大正11年1月12日の記述に「〔佐伯が〕歌舞伎町ヲ歩ヒテ女ニ袖ヲ引ヒテモライ、サソイニノラズニ戻ル」という件がある。ここでいう歌舞伎町とは、文脈からして、新宿の歌舞伎町と見て間違いない。しかし、当該の地域が歌舞伎町と命名されたのは、何と昭和23年4月1日のことであり、大正11年からは遥に隔たること26年後のことである。つまり、『周蔵日誌』は、いかにも出来事の進行とともに書かれた日誌を装っているが、実際には、昭和23年以降のある時点に綴られたものである可能性が高いということになる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これは、落合氏が反論しているように全くおかしな理論構築です。大正11年の記述に「新宿の歌舞伎町」という記述が出てきたのですから、
@これは昭和23年にできた歌舞伎町ではない(当時は豊多摩群大久保町大字東大久保と呼ばれていた)
Aじゃあ当時、歌舞伎町と呼ばれていたのはどこだろう?
と考えるのが普通ではないでしょうか?
落合氏は、これは大国座歌舞伎横町の事だと指摘しています。
大国座は、HPで調べてみると新宿松竹座の前身だった事が分かりました。ここは、大正5年に開場しました。理性寺という寺の跡地にできたもので、境内に大黒堂があったため、当初は大国座と名前がついていたそうです。そして、大国座→山手劇場→新宿松竹座→新宿歌舞伎座→新宿シネマ→新宿大劇場→新宿松竹座 と次々と名前を変えたそうです。この周辺にあった私娼街の事を指していると考えるのが妥当と思いますが、小林氏は何故か、現在の歌舞伎町を指していると『思い込んで』います。
資料を読む時に先入観を持つとこうなるという良い例ではないでしょうか?




167. 小林報告書を再読して思うこと... ケイさん  2004/04/12 (月) 23:13
贋作派のより所とされている小林頼子氏の『「佐伯作品・資料」に関する調査報告』、いわゆる「小林報告書」ですが、久し振りに読み返して見ました。
やはり、本人は真面目に取り組んでいたのではないか...と改めて思いました。佐伯の創作小説である「救命院日誌」や吉薗明子氏の聞き書き集(つまり事実誤認が多い)「自由と画布」の裏づけ調査させられた小林氏にも同情する余地はあると思いました。(^^)
小林氏は最後の結論の所で、以下のように書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
従来、佐伯の真作としてエントリーされている作品のなかに、吉薗作品にも似た質の低い作品が含まれているが、それらの作品がなぜ真作と認められたか、きちんとした学術的な説明がなされぬまま今日まで推移してきているからである。おそらく作品の様式ではなく、来歴が真筆性の決め手となっているのであろうが、その種のデータを体系的に整理し、活字化した研究書は未だ刊行されていない。このため、佐伯作品のアトリビュートに関しては、あくまで不透明感を拭い去ることができない。・・・(中略)・・・何れの問いにも従来の佐伯研究は明確に答えているとは言いがたい。
佐伯関連の出版物は、近代日本画家のなかでも群を抜いて多い。しかし、そのほとんどは、思い出話か、生涯の軌跡をいささかロマンティックにたどった評伝か、傑作礼賛の名作集か、佐伯作とされた所以を明らかにしない全作品集と銘打った写真集に近いものか、の何れかに終始している。佐伯没後70年も近くなった今日、来歴等の基本データと様式分析とを全作品に添えたカタログ・レゾネを刊行し、従来、佐伯真作とされてきた作品について全面的な再検討を加える時期に着ているのではないか。その種の真に学術的出版物なくして、佐伯作品の真贋について開かれた議論を展開することも、吉薗作品への確かな答えを出すこともできないと考えるのは、おそらく私一人ではあるまい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これは、フェルメール等ヨーロッパの画家であれば当然作られているべきレゾネすらも刊行されていない佐伯研究の怠慢に対する強烈な批判と思われます。(朝日さん、こんな事言われてますよ。頑張ってね! (笑) )




166. あなたは? ケイさん  2004/02/27 (金) 12:38
そういうあなたはどなたですか。
この書き方は警察の公安の方でしょうか?(笑)
(もしかして知ってる人かな...(^^))




165. ちょっと 見ていた人  2004/02/27 (金) 06:38
おじゃましますが、あんた自分の身分明かせよ。




164. 武生市のHPが... ケイさん  2004/02/21 (土) 01:34
このHPで反論していた武生市のHPから吉薗佐伯関連の記事が消えてしまいました。(--;
武生市長に対して、武生市は自らの手で真贋事件に決着をつけてください、とお願いしたのですがダメだったようですね。
アクセスのログを見るとこのHPを頻繁に見ていたようですが、反論でも良いですから何らかのコメントが欲しかったですね。
結局、今となっては関わりたくないと言うことでしょうか?
1年前にはあれほど大々的に佐伯事件を取り上げていたのに....




163. 芸術倶楽部でした! ケイさん  2004/01/08 (木) 00:57
ほの字さん、申し訳ありません。

>「Bien」ですが、前身である「美術倶楽部」
→「Bien」ですが、前身である「芸術倶楽部」

の間違いでした。訂正してお詫びします。




162. Bienの真贋特集 ケイさん  2004/01/04 (日) 02:48
以前、ここに書き込みをされていた『ほの字』さんの編集されている美術誌の「Bien」の最新号Vol.24 で「真贋学最前線」という特集を組んでいます。
大宮知信の他、『なんでも鑑定団』でおなじみの瀬木慎一、永井龍之介、安河内真美の各氏のインタビューが面白いです。
特に瀬木氏がこのHPにもある「佐野乾山」、「吉薗佐伯」に関して肯定的に述べているのには驚きました。
また、落合氏提供の吉薗佐伯の本画2点が掲載されているのも必見です。これまで「芸術新潮」等で公開されている画とは別物ですよ。
ほの字さんの編集されている「Bien」ですが、前身である「美術倶楽部」の時から『司馬江漢の五十三次』の真贋に関して真正面から取り組んでいる稀有な美術誌です。
皆さんも是非読んでみてください。

*Bien Vol.24 ISBN4-434-03995-4 芸術出版社 \950




161. 今年もよろしくお願いします。 ケイさん  2004/01/04 (日) 02:31
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
昨年は、アクセス数が何故か急に増えておかげさまで65,000をオーバーしました。
検索エンジンでも「佐伯祐三」で検索すると2番目位に出るようになりました。(昨年末はTOPだったのですが...笑)
これも皆さんのおかげです。
できるだけ更新しますので、本年もよろしくお願いします。




160. 「お騒がせ贋作事件簿」 ケイさん  2003/12/07 (日) 18:26
「お騒がせ贋作事件簿」大宮知信著 を読みました。
日本の贋作事件に関して書かれたものです。吉薗佐伯に関しても書いてあったので
購入してきました。著者は落合氏に直接インタビューするなど核心に迫ろうとしては
いるのですが、何とも突っ込みが甘い印象です。
著者は立場を明確にしていませんが、最後に中島誠之助と吉薗明子氏の裁判の話を
持ち出している所など著者の姿勢が伺えます。
「一般論としては、中島氏の『嘘の話は大きいほどひっかかりやすい』と言うのは
その通りだろう」と結んでいますが、一般論を述べるだけであれば書く必要は無い
ですよね。(笑)
もう一つ致命的なのは、せっかく落合氏にインタビューしているのに岸和田事件に
関して何も述べていない事です。ちゃんと調べたのかな? という印象です。




159. みんなに分かる文章を! ケイさん  2003/10/16 (木) 01:08
トリスターナさん、

>あろうことかヤマジンさんのことも・・・・。いったいどこでしらべたのでしょう。

落合氏の本を知っているなら、この発言は? 本を読めば分かる事ですよね。

> >あえて言うのはアルコール中毒の人間にはうまい絵は書けない。
>佐伯祐三の本を読みましょう。二次的な資料だけでは意味がわからないといわれても・・・。

どの本で出てましたか? 教えてください。
ただし、「アルコール中毒の人間にうまい絵は書(描)けない」というあなたの仮説は、例えば
ユトリロに対してどう解釈しているのでしょうか?

>あとわざわざ書いているのに聞き返すのは疑われるのでやめましょう。野次馬根性だけでは迷惑。なぜ私が書>いたかわからないの?

私は、単純に文章の意味が分からないから聞いています。別に野次馬根性を出している訳ではありません。
(特に阿王氏に関して知りたい事もありませんので...。)
トリスターナさん、「悲しいのは父そのものの存在を贋作と言った気がしたことでした。」 と書かれて
ここを読んでいる人が意味を取れるでしょうか?
私は一晩考えましたが(笑)、分かりませんでした。分かりやすい文章を書きましょうね。
上の文章も「・・・聞き返すのは疑われるのでやめましょう」の部分が意味不明です。何を疑われるのか分かりません。




157. ヤマジンさん ケイさん  2003/10/14 (火) 23:42
トリスターナさん、

ヤマジンさんに関しては、落合氏の本に出ていますよ。(阿王桂氏に関しても)
2chの議論にもありましたが、下手なだけだったら真贋事件にはならないでしょう。(あえて言わなくても誰も相手にしないから)
下手(習作or駄作)だけれども本物だと思われるから東美もあえて贋作だと発表したのです。

すいません。以下の2つの文章の意味を教えてくれませんか?

>あえて言うのはアルコール中毒の人間にはうまい絵は書けない。
佐伯がアルコール中毒だったということでしょうか?

>悲しいのは父そのものの存在を贋作と言った気がしたことでした。
ここで言う父というのは、阿王氏の事ですか?





155. RE2:米子加筆 ケイさん  2003/10/13 (月) 11:58
toristana さん

結局は、東美の都合で「真贋」が決まるということですね。(^^)

米子加筆に関してですが、当初(第一次渡仏)は確かに佐伯も認めていたと思いますが、それ以降、かなり葛藤があったようです。

>ワシの絵がよう見えんようになっている。
>米子はんの手伝うてくれたもんは、いかによう出来ていても三等やとワシおもってる。

というような事を吉薗氏に書いています。佐伯の真贋事件に関しては、以前2CHで議論になりました。ご存知無ければ下記をご覧下さい。(何故か途中で切れている...これ以降が面白いのに)

http://www.piza2.2ch.net/gallery/kako/1000/10003/1000317620.html

私は浮世絵の世界も同じだと思います。(有名な絵師の作に関してですが...)初摺りと後摺りで価格がべらぼうに違うため、初摺り作りがかなり行われているのでは? と私は思っています。← 思っているだけです(笑)




153. Re: 米子加筆 toristana  2003/10/11 (土) 23:10
ケイさんへ

米子の作品が贋作!としてしまったら現在の東京美術クラブのものはみな価値が低くなってしまいます。
それに佐伯は生きていたころから米子に頼っていた画家で、米子の腕を借りた佐伯の魂の作品、といえるかもしれません。

実際に見たわけではないのですから夫婦のことはむずかしいですね。他の有名な画家ですと、浮世絵一派が同じ名を名乗るということもありますし、でもそうなると真贋よりも「作家の個性が出ていれば良い」ということにもなりかねませんよね。だったらピカソはどうなんだ、とおもうし。

要は辛口ですが今の重鎮たちが違う世界に旅立ちになって、天使のわっかをつけるまでは動かせません。
佐伯もんだいはあと十五年すると変わるはずですよ。技術も進みますし、美術の見方はあと二十年後にはずいぶん変わってしまいますから。
といってもシンプルになると思いますよ。
だから佐伯が真の佐伯になるのはあと二十年ですね。それまでがんばりましょう。

メールよろしければください。=ネット喫茶なのでおくれないのです。ごめんなさい。
非常に前進的なご支援?ありがとう。

浮世絵にくわしいそうですが私は鈴木春信、文調などが好きですよ。

では




152. 米子加筆 ケイさん  2003/10/11 (土) 15:33
toristana さん、

阿王氏の知人との事ですので、美術界には詳しいと思いますが、
米子加筆に関しては、どうお考えですか?
よろしければお聞かせ下さい。(今回の件のポイントだと思います)
私のスタンスは、要するに「真実」は何なのか?
という事を知りたいだけです。
米子加筆説が真実であれば、加筆品が佐伯の名品として流通して
加筆なしのものが贋作として扱われるのは悲劇です。
吉薗手記によれば、米子の画風から離れて独自の画風を探るために
試行錯誤した佐伯の姿が浮かんできます。
ですから、吉薗佐伯の中には多くの習作(駄作含む)がありますが、
私が見た絵のようにパワーを感じる名品も多いと思います。
吉薗佐伯を東美が本当に科学判定を行って贋作と結論付けるので
あれば(論拠がはっきりしていれば)それは受け入れるべきだと思います。
もちろん、そこからが本当の真贋論争になると思いますが...。



 

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