川島芳子

東洋のマタハリの最後

●川島芳子の処刑に関して
東洋のマタハリ川島芳子は反逆通敵罪として死刑の判決をうけ、1948年(昭和23年)3月25日に
中國最高法院北平分院の刑場で死刑執行された事になっています。しかし、吉薗氏の情報では、
彼女は実は生きていたとの事です。

「ニューリーダー」に川島芳子に関して、下記の内容が書かれていますが、これは吉薗手記に書いてあったのか、娘の明子氏に聞いたのかは明記されていません。
周蔵と親しかった藤山愛一郎は、昭和34年、岸内閣の外務大臣として訪中したが、それに先立ち、周蔵に懇請してきた。
吉薗さんは、昔周恩来総理が日本におられた時、親しかった、と言っていたねえ。そこで頼みがあるんだが、この藤山なる男は吉薗周蔵の古い友人だと、周総理宛に一筆書いて頂けないか
承知した、書きましょう。ただ、周総理に会ったら、一つだけ聞いてきて欲しいことがある
周蔵は承諾したが、条件を一つ出した。それは
川島芳子は生きているとの噂ですが、本当ですか?
と尋ねて欲しい、ということであった。
(中略)
芳子は男装をして「キミ、ボク」と甲高い声の男言葉で話し、多くの日本軍人を手玉に取った。その奔放な行動と満州建国における活躍から「東洋のマタハリ」と呼ばれた。その相手の一人甘粕から周蔵は昭和18年頃、芳子に関する驚くべき秘話を聞くが、その内容は後日語る機会もあるだろう。
戦後、国民党の戦犯裁判において芳子の国籍が問題となった。日本籍なら戦犯として裁判を受けられるが、中国籍なら漢奸(国家反逆者)として即時死刑を免れない。川島浪速が出廷証言しなかったことと、正式に
養子入籍していなかったことから、芳子は後者と断定され、昭和23年刑場の露と消えた、とされている。
(中略)
帰国した藤山外相は、周恩来の言葉通り周蔵に伝えてきた。
そんなこと、答えられるわけがありません。ただ、吉薗先生には一言だけ『マルです』とお伝え下さい
ということであった。
平成8年8月、外務省出身の某議員の言に、川島芳子が金条(延べ棒)5本によって死刑を免れ、以後は国内に軟禁されていたと聞いた。塚田という海軍関係の特務機関員から聞いたというのである。
(ニューリーダー 1997.10月号掲載分より)

ところが最近「日本のスパイとして【東洋のマタハリ】と呼ばれ、昭和23年に北京で処刑された筈の川島芳子が、処刑を免れて吉林省で昭和53年まで生きていた」との証言が出た。吉林省長春の張討箸いΓ苅浦个硫莢箸、義理の祖父・段蓮祥が芳子の監獄からの脱出に関わったと証言したのである。詳細は新聞が報じたから略するが、この報道を機に、報道関係者から私の許に多くの問い合わせや感想が寄せられた。
(中略)
本誌の読者諸賢からは、今回の証言で『周蔵手記』の信頼性がさらに高まったと激励が寄せられたが、従来その信憑性に疑問を感じ拙稿を陰謀史観と見倣していた向きの中からも、今回の証言を機に見直す人がかなり出てきた。その中に、藤山は政界引退後に日中友好に努めたが、岸内閣の外相の時には訪中はおろか、周首相に会った記録もないとの指摘があった。何分、この一件は周蔵周辺の口伝に過ぎず『周蔵手記』の記載ではないから、執筆当時は厳密な裏付けを取っていなかったので、今回改めて調べてみると、実は☆昭和30年のバンドン会議の時と判明した。当時藤山は政界入り前で日商の会頭をしていたが、鳩山内聞の経済企画庁長官・高碕達之助の顧問として会議に出席し、周恩来に会ったのである。ゆえに、上述の傍線部は私の誤りと分かったので、ここに訂正する。

疑史(第54回) 陰謀史観 (『月刊日本』2009年3月号)より


川島芳子の処刑に関する疑問に関しては、yayakoさんの作られた『「李香蘭」の館』のHPに詳しく書かれていますので、是非ご覧下さい。
http://www.netlaputa.ne.jp/~yayako/jinbutu/yoshiko3.html
http://www.netlaputa.ne.jp/~yayako/ (トップページ)
ここで上げている疑問点は、

  1. 何故、処刑の時に外人記者2名だけ刑場に入ることができたのか。(中国人記者は不可)
  2. 処刑場から運び出された芳子の顔その他がなぜ人相も判別できないほど汚れていたのか。
  3. 処刑10日前に獄中の芳子に単独インタビューをしたAP特派員のスペンサー・ムーサが「髪は男のように短く刈り込んでいた」と記してにも関わらず、処刑時には頭髪が首に巻きつくほど長く伸びていた。
  4. 芳子と同じ第一監獄に入っていた劉鳳鈴という女囚の母親が、金の延べ棒10本で娘を芳子の身代わりに提供したことを、その囚人の妹が証言した。

これを見ると、処刑に関してはかなり怪しいですね。私は周蔵氏の証言には信憑性があると思います。


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