甘粕正彦



9)周蔵氏満州に甘粕を訪ねる

昭和五年の初春について『周蔵手記』に記載はない。手記は四月から始まる。

『周蔵手記』 本紀 昭和五年四月条

四月満州へ發つ。甘粕さん満州に移動されたらしい。訪ぬる。
二ヶ月程の予定。

(ニューリーダー 2003年 9月号 原文はカタカナ)

昭和五年四月、周蔵は二ヶ月の予定で満州の旅に発った。目的は張作霖爆殺後の帝国陸軍の動向を見極めるためで、藤田嗣治からの依頼を受けていたが、何よりも周蔵自身の欲求であったろう。満州を目的地とする理由は、甘粕正彦がそこにいるからである。
甘粕はフランスから帰国した直後は、朝鮮に落ち着く予定であった(前述)が、結局満州に移った。甘粕のこの移動は、帝国陸軍の大陸政策の策源地が朝鮮から満州に移ったことを受けたものと言えよう。もう一つは貴志彌次郎中将の存在である。貴志は大正十三年に予備役編入した後も、市ヶ谷の陸軍官舎に落ち着かず、東京と満州の間を往来し、むしろ満州にいるほうが多かった。つまり満州に行けば必ず貴志に会えるから、貴志から軍部の動向を聞き出すことも、今回の目的であった。(ここに横線あり)

(落合氏解説)

『周蔵手記』 昭和五年四月条 続き

例の○○を持って行く。甘粕さんは これから、きりがなく 資金が必要であろうから、
大した金額ではないが、預金をはたいて行く。

(ニューリーダー 2003年 9月号 原文はカタカナ)

甘粕が満州で何を始めるのか知る由もないが、何にせよ資金を必要としていると察した周蔵は、みやげとして、以前上原勇作元帥から賜った○○(伏せ字)を携行した。これは前年の春に密命で渡仏した時に持ち帰った物品の一部で、上原元帥から褒美として賜ったものだが、金銭的価値があるから甘粕の資金にできれば、と思ったのである。また、さほど大金でもないが、これまで貯えてきた預金もすっかり引き出して持参した。周蔵は甘粕の金遣いの荒さを知っていたが、明確な目的があってするものと見ていたから、浪費癖にも好意的であった。

(落合氏解説)

注)周蔵氏は額を明記していませんが、薩摩治郎八に当時の金額で総額10万円以上を与えた事実から考えると数万円以上(現在の数億位か?)は持参したと思われます。


●甘粕、石原両名の思想ニハ驚ク

『周蔵手記』 昭和五年四月条 続き

△甘粕さんは さすが このくらいのことで動揺されるでもなく 石原氏と密にやっていかれるらしい。
△自分も同席にて 支那料理を喰わして貰うが、石原氏 私服のため階級分からず。
その遠大なる構想は 驚くばかりである。三十年計画の日本を描いていて、正に着実にそれに
向けているのであるから、この両名の思想には驚く。
やはり張作霖をやったことは誤りのようである。

(ニューリーダー 2003年 9月号 原文はカタカナ)

張作霖暗殺後の陸軍の政策の流れを見極めるために満州に来た周蔵は、目的の人物たる元憲兵大尉甘粕正彦に会う。強固な信念と凛々たる勇気を以って周蔵を敬服させた貴志中将は、武弁特有の純情な性格のため張作霖暗殺では傷ついたが、甘粕は性本来謀略気質に富むうえに、数多くの修羅場を潜ってきていた。入獄さえも胆を練る機会としたのか、さすがにこのくらいのことでは動揺していなかった。甘粕は満州で、石原なる軍人と密かに協同して、今後の政略を練っていくらしい。
甘粕に招待された支那料理の宴席で、周蔵は石原莞爾を紹介されたが、和服の着流しで現れたこの軍人の階級がわからない。明治二十二年一月生まれの石原は、士侯二十一期の卒業で、この時四十一歳であった。甘粕よりも二歳、周蔵よりは五歳の年長である。大正十一年九月、石原大尉は陸大教官のままドイツ駐在を命じられ、駐在中の大正十三年に少佐に進級、帰国後も陸軍大学校教官に就いていたが、昭和三年八月中佐に進級し、同年十月には関東軍参謀に命じられ、旅順に居を構えていた。石原の構想力は実に驚くべきもので、三十年後の日本を計画していて、まさに着実に、それに向けて実行を進めている。その計画に甘粕が密かに加わっているのを知った周蔵は、両名の思想に驚嘆する。二人との話の中でも、やはり張作霖をやったことは誤りであったらしい、と周蔵は覚った。(ここに横線、張作霖のことか?)

(落合氏解説)


●蒋介石ガ 浮上スル 誤リガ 起ル

『周蔵手記』 昭和五年四月条 続き

これで 蒋介石が 大きく浮上する と云う誤りが そこに起こる と云うこと なのだろう。
角力でも、東西の横綱があって うまくいく。
蒋介石だけになり、それしか人物おらずでは 敵の思う壺 となると 云うこと か。
閣下(上原)は 何故 その方策をとられた のであろうか。
田中義一を うるさいと思う あまりにしては 計が なされなかった と思ゆる。
田中が失脚になっても まだ あきたらず ○○○を 抱き込むまでにしたのか。
△中野の女の 言であるから 話が半分だとして 疑問は残る。
また、不確なこと故 誰にも喋らず。

(ニューリーダー 2003年 10月号 原文はカタカナ)

中華民国の政情はここに蒋介石張作霖の両雄対峙の様相を呈した。その一方たる張作霖が暗殺されれば、蒋介石が大きく浮上するのは当然である。これは日本にとって最大の誤りであった。相撲の興行でも、両横綱が健在で東西に両立していることが成功の条件である。ところが政権トップが蒋介石だけになり、他に人物らしいものがおらず、蒋介石に権力が集中すると、日本側からうまく操縦することができなくなる。これはつまり日本の失敗を願う敵国の思う壺である。こんなことは周蔵でも察しが付くのに、陸軍内でも抜群の頭脳で知られた上原閣下がなぜその方策を採用したのであろうか、と周蔵は理解に苦しむ。ことごとく自分に楯突くようになってきた田中義一をうるさいと思う余りの行為との解釈もできるが、それにしても計略が粗末過ぎると思う。田中は、張作霖暗殺における帝国陸軍の関与の有無について昭和天皇のご詰問にあい明白に関与を否定したが、そのため後処理の責任を負ってしまう。蒼惶として御前を退出した田中はそのまま首相の座を辞した。そこまで追い込んだ上原閣下は、それでもなお飽き足らず、○○○(伏せ字)を抱き込んで、田中を物理的に始末するまでにしたのだろうか。
もっとも、この裏話は中野正剛の愛人の言であるから、話半分としてもそのまま信じることはできない、と周蔵は感じた。また、それほど不確かなことであるから、誰にも口外しないことにした。

(落合氏解説)



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