周恩来ら民国留学生の世話を焼いたのは、2年前に来日していた王希天である。王は南海中学から派遣されたスパイで、それもプロ中のプロであった。佐野眞一著の正力松太郎伝『巨怪伝』には「王希天には、早くから警視庁の尾行がつけられていた。王に遅れること2年後に来日した周恩来や、堺利彦、山川均、大杉栄ら社会主義者との接触も,当局の神経を逆なぜしていた」とある。当然ながら、当局はすでに王のスパイ行為に気付いており、後を追ってきた周恩来も、日本の公安当局監視下に置かれていた。
周恩来が下宿した「牛込の大工の家」というのは、実は牛込区箪笥町にあった藤根大庭の持家である。そこは3軒並びの2階屋に、藤根配下の大工の3家族が住んでいた。その一人でクリスチャンとなった八代は、腕は素人に近い叩き大工であったが、後に佐伯祐三のアトリエを建てた時、佐伯が描いた肖像画によって顔貌が今に伝わっている。この大工たちは3人とも藤根の下の「草」で、2階に民国留学生を下宿させたのも公安上の目的だった。
(中略)
聴講生の資格があるのに、京大に通学するでもなく、毎日ぶらぶらしている周の姿に、周蔵は特務活動に勤しむ石光真清を重ねて見た。渡欧の途上で寄航した英国領の街中で、石光はいつもああいう風にして観察していた。周恩来は古都を逍遥する風を装い、日本を観察しているのだと確信した
(ニューリーダー 1997.8月号掲載分より) |
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