中野正剛のシベリア出兵軍事費不正の糾弾


●「閣下トシテハ カンナハヅデハ ナカツタ」
田中義一と宇垣の派が、だんだんと強くなっている。一つには閣下も歳だと言うことだろう。
それに何やらシベリア出兵の失敗のことがあるだろう。いつ手を引くか落とすところを見ているのであろうが、泥沼にはまると、どこが落ちたかなど見当もつかないのであろうか。
閣下としては正しく、こんなはずではなかったであろう。
金も人も使いすぎて、とりつくろいもできないのであろうか。

(「ニューリーダー」 2001年3月号 原文はカタカナ)

田中義一大将と宇垣一成陸軍大臣の派が、だんだんと強くなっている。一つには、上原閣下ももう歳だということであろう。それに、シベリア出兵の失敗が、何よりも響いている。いつ手を引くのか、落とす所を閣下は探っているのであろうが、泥沼にはまってしまうと、どこが落とし所かなど、見当もつかないのであろうか。上原閣下としては正しく、こんな筈ではなかったであろう。軍費も兵員も使いすぎて、取り繕いもできないのであろうか。

(落合氏解説)

こういうことは、厚顔なほど得であろう。閣下も歳には勝てなくなっているであろうから、このことが気を弱くされたのであろうか。
貴志さんは、宇垣の小心と工作に当たってのことのようだが、予備役になられたようだ。
貴志さんは、個としての意志からも張作霖との交友深めるの意志見られたれば、貴志さんがそこから離るるは日本の不利となるように思う。
たとえ、敵になろうと友情を通ずることできれば、心の深い人物とて人間の繋がりにて展かれんこと多しと、張作霖をほめておれたに予備役は残念に思われているであろうか。

(「ニューリーダー」 2001年3月号 原文はカタカナ)

政治めいたことは厚顔なほど得であろう。さすがの上原閣下も歳には勝てなくなっているであろうから、気力を落とされたのであろうか。
貴志彌次郎さんは宇垣の小心と工作に当てられて、予備役に編入されたようだ。貴志さんは、命令もさることながら個人的にも張作霖との交友を深める意志が強かったから、貴志さんが奉天から離れるのは、日本にとって不利になるのではないかと思う。
たとい敵味方になろうと、友情さえ通じておれば、心の深い人物のこととて、人間関係から発展する可能性が多い人物、と張作霖を誉めておられたのに、お役御免の予備役編入を残念に思われているのではなかろうか。

(落合氏解説)

この月は、閣下に会うるは苦しかった。然し、苦しいときは自分のようなコッパが出向くは気がまぎれようかと思い訪ぬる。
シベリア出兵の不正事をあばくと言って、下っぱが告発事件を起こした。
シベリア出兵のことはそうでなくても閣下としては、黒星であるだろうに閣下は意外にも明朗にて闊達であった。
「これから中野正剛が、やいのやいのとやりもっそ」と楽しそうでさえある。
何となく読めるようにも思ゆ。こういう時が、一番苦痛である。

(「ニューリーダー」 2001年4月号 原文はカタカナ)

大正15年3月末日の条。この月は、苦境にある上原閣下にお会いするのは、いかにも心苦しかった。それでも閣下の苦しい時に自分のような木っ端が出向くのは、かえって閣下の気が晴れようかと思い、大森邸をお訪ねした。
シベリア出兵に際する不正事件を暴くと言って、下っ端が告発した。シベリア出兵のことは、そうでなくとも上原閣下としては黒星であろう。さらには不正事件とは、思いながらお訪ねすると、意外にも上原閣下は明朗闊達であった。「これからは中野正剛が、やいのやいのと、騒ぎまくるじゃろう」と、楽しそうでさえあった。「はてさてこれは?」と狐に摘まれた感じになったが、やがて何となく読めてきたように思える。告発事件には裏があり、そこには閣下がいるのだ。こういう時が一番苦痛を感じる。

告発事件とは、シベリア出兵時に分捕ったロシア金塊に関するものである。
シベリア出兵とは、第一世界大戦の末期、ドイツ・ロシアの単独講和の後に、ロシア軍に投降してシベリアに在ったチェック・スロワックを救助するために、アメリカの勧めによって出兵したものである。大正7年8月頃から各国が参加して、なかでも日本はその積極的姿勢において際立っていたが、11年8月にようやく撤兵した(注:シベリア出兵も太平洋戦争と同じ伝で、日本はアングロ・サクソンの策に巻き込まれて出兵させられたのが真相である。サマーセット・モームの伝記には、英国諜報部員だったモームが変名で何度か来日しているが、目的は日本をシベリアに出兵させるためであった)。
シベリア出兵の責任者は、陸軍大臣では大島健一田中義一及び山梨半造で、参謀総長としては終始上原勇作。軍事費の使途等については出兵当時から問題があったが、表面化していなかった。

(落合氏解説)



●中野正剛を使った告発”自作自演”?

大正15年3月5日、シベリア出兵の軍事費に関して軍上層部に不正があったという告発が、突如としてなされた。告発者は元陸軍省官房付陸軍二等主計三瓶俊治で、周蔵の言のように、いかにも「下ッパ」である。被告者は、予備陸軍大将の田中義一と、同じく山梨半造で、容疑は背任である。田中は時の政友会総裁であった。告発書の内容は、陸軍省大臣官房主計質にあった800万円の定期預金が密かに公債に換えられた末、田中義一らによって横領されたこと。及び1,000万ルーブル(日貨1,000万円)相当の金塊が田中、山梨らによって横領されたことである。
三瓶告発の前日、3月14日の第51帝国議会の衆議院本会議で、憲政会の代議士中野正剛が動議を提出し、政友会の幹部の行動を調査すべし、とした。幹部とは小川平吉小泉策太郎秋田清鳩山一郎で、陸軍大将田中義一を総裁に擁立した者らである。中野の動議の内容は次のようなものであった。
  1. 前憲兵司令官陸軍中将石光真臣(大正14年5月予備役)が、陸軍大将立花小一郎と相談の上、「田中義一大将が陸軍機密費400万円を費消して政界に流したのは軍人の政治干与ではないか」との建白書を提出していること。
  2. 田中義一政友会総裁は、陸軍大臣として、シベリア出兵のために無益の8億円を浪費し、うち機密費だけでも4,000万円に達したが、その中から2,000万円を山梨次官、松木高級副官と3人で横領着服し、公債に換えたこと。
  3. 田中義一は右の公債を担保に、神戸の金融王乾新兵衛から300万円を借り出し、政友会総裁就任の持参金としたこと。
  4. ロシア軍から分捕った1,000万ルーブルの金塊も行方不明で、不正に処分された疑惑があること。
軍部の不正を鳴らした中野正剛の反軍事的傾向は、以前から一貫しており、大正10年の題44議会においては、ニコライエフスク(尼港)事件に関する田中陸相の責任を追及し、辞任に追い込んだ。だが、尼港事件の責任者は、直接的には参謀総長であるのに、中野は上原勇作総長の責任は問わず、田中義一陸相の間接的責任だけを問うたのであり、いかにも不自然といえる。中野が議会で「やいのやいの」とやった二日後の3月16日、告発者の三瓶元二等主計は検事局に出頭、それから三日間、石田主任検事の取調べを受けた。峻烈で知られた石田検事は、以後も取り調べを続けていたが、10月30日の朝、蒲田駅と大森駅との中間の名もない小川の鉄橋の下で変死体となって出現し、それを以ってこの事件はウヤムヤに終わってしまった
周蔵は上原の顔色から、すぐ真相を察して苦痛を感じた。中野はシーメンス事件の時の島田三郎と同じ役割なのだ。つまり密かに上原勇作によって動かされていたわけである。
そのことを証するのが、『周蔵手記』の本条で、これにこそ私(落合)が、『周蔵手記』を歴史の裏面を暴く第一級の史料と呼ぶ所以がある。

(落合氏解説)


●「ヤハリ中野ハ上原ノ命ニ従ッテヰル」

七月
中野正剛に捨てられた女に客をとらないように頼む。奥多摩の寺で、面倒を見てくれると言うから、近い内引き取る話もする。100円で話が済む。
閣下に伝うると、「そうしてくれたか」と言わる。閣下には「この女、中野を憎悪していてかなりの情報を持っている」と言う。
然し、どこの寺かとも何とも言わず、「これから不幸でなければ、時が忘れさせていくであろう」と言わる。

(「ニューリーダー」 2001年5月号 原文はカタカナ)

中野正剛に捨てられた女が、「政子」の名で大黒歌舞伎の横丁の私娼窟に入ったが、周蔵は客をあてがわないように、200円で楼主に頼み、100円で身請けの話もつけた。
上原元帥に報告すると、一応感謝されたが、この女から中野の情報を取れるとの進言に、閣下はあまり興味を示さない。ここに横線あり、別紙記載があるはずである。

(落合氏解説)

やはり中野は上原の命に従っているのだ。
うまくやれば一挙両得のことになる。閣下はいかにも薩閥のようでありながら、宮崎である。「これは宮崎の人間でないと分からん」と親父殿が以前に言われたが、そのとおりであろう。
まず薩摩をつぶし、同時に長州もつぶすは閣下の一番のねらいであろう。石光さんは熊本、中野は福岡、頭山は夜行った時、閣下の所で二度見ている。中野と頭山は近い。

(「ニューリーダー」 2001年5月号 原文はカタカナ)

中野正剛に捨てられて憎んでいる女を保護した周蔵は、女から中野の情報を引き出せることになり、当然上原から誉められるものと期待していたが、上原の態度はそれほどでもなかった。中野はやはり、あくまでも上原配下なのだ。
小藩雑居の宮崎人の採る戦略は宮崎人でないとわからない。上原の戦略は、まさにその通りで、まず山本権兵衛の薩摩閥を潰し、返す刀で山形有朋の長州閥を潰すのが、上原の一番の狙いであった。石光真清は熊本細川藩の出身、中野正剛は福岡である。同じ福岡の黒田藩士頭山満も、夜間忍んで行った上原邸で周蔵は二度もみかけた。頭山が「宮中某重大事件」を起こして、山県有朋と潰したのである。
彼らはいずれも、世間には上原元帥とはまったく無関係に見せながら、隠れた上原の腹心なのであった。このことをわが国の近代史家は、まったく気がついていない。

(落合氏解説)

今度のことも石光さんが、告発状を提出したと聞く。閣下は自分は皮を切らせて、然し軍部の責任にせず田中が責められている。結局、政府内に二人が必要となるも中野一人で充分ということなのだ。
正に、閣下の思考経路は抜群であるから、目立つ劣らず、次席にいるように見せて、その実、頭という術は、誰にも真似らるると云うものではあるまい。人間、前に出ずにはおれない。冠を持たずにはおれないと云うのが習性であろう。
然し、昼行灯、決込めるは、煙幕をはりめぐらしたようなもの。よく見極めれば、煙幕の中に誰がおるか見ゆるはずのもの、新聞には一行も載らず、誰一人言をしておらぬは、気がつかないと云うことと、何より中野正剛の弁説の巧みさにあろう。正にあの宇垣する気がつかないは、将来が思いやられる。

(「ニューリーダー」 2001年5月号 原文はカタカナ)

公金横領の告発状提出者は石光真臣中将であるが、ここに「石光サン」とあるから、兄の石光真清が後ろで糸を引いていたのであろう。陸軍不正に関しては、参謀総長であった上原勇作も一半の責任を免れないが、中野正剛は陸軍全体の責任とせずに、陸軍大臣だった田中義一を責めた。こういう方法のためには、政府や議会の内部にあらかじめ人材を配置しておかねばならないが、上原としては、そんな者は中野一人で充分、ということであった。
上原の凄さは、あえてトップに立たず、次席にいるように見せて実権を振るうところにあるが、新聞には一行も載らず、唯一人としてここに気がつかない。それは何より、中野正剛の弁舌の巧みさにあった。智謀を以って自ら任じる宇垣一成さえ、そのことに気がついていないのは、まさに将来が思いやられる。

(落合氏解説)

結局、大山鳴動してネズミも出ず、然し田中は打撃を受けたであろう。うっかり甘粕さんに云うと「三年前なら、自分が首を取りに向かったよ」と笑わる。
甘粕さん、出られるらしいこと閣下から聞くがまだ云わず。
宇垣は、「自分より頭の回る奴はいない」と近い人間には云うそうだが、この事見ずは昼行灯より昼の電灯の口になると、つくづく思はざるを得ない。

(「ニューリーダー」 2001年5月号 原文はカタカナ)

上原は、自分の股肱であった陸軍九州閥を潰した田中義一宇垣一成に対して、激しい憎しみを抱いていた。甘粕正彦は、三年前なら自分は娑婆にいたから、田中らを放っておいたはずはないと、自ら言った。当時の千葉刑務所は、暗号解読の件といい、こんな会話ができるほど、服役囚の甘粕を大目に見ていたらしい。
周蔵は上原から、甘粕が近々仮出所すると聞いていた。上原元帥と軍部の権力は、行政面にも多大の影響を及ぼしていた。大正12年9月に身柄を拘束されてから通算3年にもならないのに、懲役10年の甘粕がもう仮出所とは、拘留必要日数の7割在獄を条件とする現代からすれば、まことに軽い行刑慣行が、当時はあった。共犯の森上等兵も、懲役3年のところ1年余りで出獄していた。周蔵はあえて甘粕にこの吉報を伝えなかったが、角田房子の伝記『甘粕大尉』には、「獄中生活が2年を越した頃から、彼の出獄はひそかに計画され、それは弟・二郎をはじめ家族にも伝えられた」とあるから、甘粕は当然知っていたはずである。
昼行灯とは、田中と宇垣が上原を揶揄してつけた渾名である。昼の電灯とは、それもいつ点いたかわからない、ぼおっとした灯だとの悪態であるが、周蔵はそういう宇垣らのほうが昼電灯でだとつくづく思ったのである。

(落合氏解説)

閣下、「三瓶と川上が、政友会つまり久原に売り込んだことは聞とるだろう。
内田がもう少しで川上の言い値を出すところだったと言うから、川上、三瓶にすれば惜しかったろう」と笑わる。

(「ニューリーダー」 2001年7月号 原文はカタカナ)

三瓶が3月5日に陸軍機密費の横領事件を告発した。その数日後に対象をやや広げて同様な告発をしたのが、陸軍予備飛行中尉川上親孝であった。むろん二人は繋がっていた。
当時の政友会は、総裁高橋是清に資金調達能力がなく投げ出した後を、陸軍大将田中義一が目前の元帥の座をなげうって大正14年4月に総裁に就任し、田中の両脇を久原房之助内田康哉が支えていた。三瓶と川上は、久原にこのネタを持ち込んで恐喝したから、伝え聞いた内田が危機感を抱き、危うく彼らの言い値を払いそうになった。だが(おそらく宇垣の意見で)政友会はカネを払わず、やむなく両人は告発に走ったわけである。久原は一件の報告に大森の上原邸まで来たのであろう。惜しかったろう、と笑っている上原が、むろん両人の黒幕にいた。

(落合氏解説)

*このHPを読まれている方は、久原房之助上原元帥が繋がっている事はご存知ですよね。

閣下にすれば、政府に加わらずとも、中野正剛一人おれば、政府の主義、見失はせるは充分であろう。宇垣は、信ずる人持たずは、草はなしとのこと。草を信じ得ないということか。すべて金と思えば、草を信じ得ないのであろうが、草はまた草のおもしろみを得ているのであろうに。果たして、ロシアの莫大なる金塊は誰の手に入ったか。

(「ニューリーダー」 2002年11月号 原文はカタカナ)

中野正剛は旧黒田藩の士族が組成した玄洋社が政界に送った俊秀で、シーメンス事件、シベリア金塊事件など、重要な政治問題が発生した時にはことごとく、論鋒鋭く時の政権にタテを突いた。その姿勢は近来の政客菅直人に似るようだが、菅のごとくマイナーなことに何でもかんでも首を突っ込むようなことはせず、攻撃対象の重要さと論鋒の鋭さでは比較を絶していた。その中野が、密に上原の司令を受けていた事実を知る史家が、果たして日本にいたのだろうか。ここで周蔵は突然、「ロシアノ莫大ナル金塊」に言及する。

(落合氏解説)



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