シベリア金塊(1)


*ここで言うシベリア金塊とは、ロシア革命まさにたけなわの大正7年(1918年)3月、まだ赤軍の手に陥ちていなかったアムール州の首都ブラゴビェヒチェンスクのロシア国立銀行の金庫にあったものです。

  1. これは『石光真清の手記』によれば金貨・砂金・紙幣合わせて総額3,000万ルーブルに達する膨大な財産の一部であった。
  2. 白軍コサックが中華民国領の黒河鎮(アイグン)にこれを運んだのは3月12日で、その地のロシア領事館に保管した。
  3. その後、東清鉄道総弁のホルワット中将を首班として、ハルビンに反革命政府が樹立されるや、ホルワット政府にこの金塊を引き渡せ、との命令が黒河鎮に避難中のアムール州会議長シシロフに届き、亡命州会も市会も、ともにこれを承認した。
  4. ところが、日本陸軍の密命でコサックを支援していた予備陸軍少佐石光真清は、アムール州民の財産も一部混じるこの金塊をば易々と臨時政府に引き渡すべきではない、と反対する。
  5. そのため、150万ルーブル分だけは保留することになり、結局2,850万ルーブルの金塊(主として砂金)を載せた馬橇が、コサック兵と中華民国官憲に護られてハルビンに向けて走り去るのを石光は見た。(大正7年4月3日午前5時)
  6. しかし、金塊はハルビンのホルワットには届かず、黒河鎮近傍の黒竜江省の各地に分散して沈め(隠匿せ)られていたらしい。
       

*ホルワット政権が消滅した時、その所有権を引き継ぐ者は、どこにもいなかった。元所有者の帝政ロシアに返却しようにも帝政ロシアも消滅してしまった。確かにソビエト政府がロシア帝国の領土・人民を継承したが、革命の名のもとにロシア帝国の対外責務を自ら踏み倒した彼らが、この金塊を取得した外国人に対して、人並みに返還請求権ないし求償権を主張しうる資格があるとは考えにくい
(ニューリーダー 2003年9月号より)

●閣下からの「仕事ノ内容聞ヒテ 驚ク」

*昭和2年9月、周蔵氏は上原閣下から密命を受けました。
(周蔵氏は当時、舌癌を患っていましたが、それを押して任務を遂行しました)

今年の暮れか来年にかけて、フランス、スイスに行って貰いたか、と言わる。
仕事の内容を聞いて驚く。計画、自分で立ててみると伝う。

(「ニューリーダー」 2002年1月号 原文はカタカナ)

密命の内容は驚くべきものであったとあるが、具体的には、横線が示唆している別紙記載をみるしかあるまい。

(落合氏解説)

閣下から 命令の計画を練る。
「甘粕さんに依頼してもよいか」と言うと、「甘粕には、別の口をやっておる。いずれ合流とはなるであろうが」とのこと。
安太郎氏に関しては「大いによか」とのこと。

(「ニューリーダー」 2002年1月号 原文はカタカナ)

上原の命令の実行は周蔵一人ではできず、屈強の男児の協力が必要なので、周蔵は甘粕正彦に依頼したいと思ったが、上原はすでに同種の作業を甘粕に命じていた。最後には甘粕と合流になるだろうが、当面は別の人員を選べという。そこで安太郎氏を挙げると、承認された。詳細は別紙記載にあるものと思われる。

(落合氏解説)

巻さんに、安太郎氏との連絡を依頼。
ついでに聞いたこととしては、佐伯の妻君、ぬけめがなく安太郎氏に(第二次渡仏のための)餞別の催促したとのこと。
内幸町の事務所にて安太郎氏と会えるは12日であった。

(「ニューリーダー」 2002年1月号 原文はカタカナ)

佐伯は若松の素性を知らず、巻さんの京橋の店を若松の住所と思っていたが、米子はちゃんと若松の事務所を知っていた。海軍筋のつながりがあったからであろう。その内幸町の若松事務所に米子の餞別催促状はきていたのである。

(落合氏解説)



密命の最大の敵は「田中−宇垣ノ線」

*上原元帥の密命を受けた周蔵は、注意をこめて実行計画を練り上げた。

『周蔵手記』本紀・昭和2年10月3日条続き

目的−スイス、ベルン
人物についてはネクル氏が手配してあるとのこと。
ネクル氏のことは訪ねることができる。連絡は済んでいる。少なくとも1月下旬にパリに到着予定とす。
ネクル氏の指示に従って、スイスに入ればよい。

(「ニューリーダー」 2002年2月号 原文はカタカナ)

目的地はスイスのベルンで、密命の内容はベルンで相手と会い、何かを受け取ってくることである。相手側との連絡は、上原元帥の草としてパリに根を張っていた藤田嗣治(ネクル)が既に済ませていた。

(落合氏解説)

問題があるとすれば、邦人である。
佐伯すら頭が誰か分からない。少なくとも妻君は海側であること、間違いなしとだけは安太郎氏とも一致す。
しかし海は気だるいから、厄介という程ではないと一致す。

(「ニューリーダー」 2002年2月号 原文はカタカナ)

今回の任務を遂行する際、注意すべき相手は外国人よりもむしろ邦人である。現に親しく行き来している佐伯祐三でさえ、スパイとしての上司が本当は誰なのか完全に掴めていない状況、と認識している周蔵は、周囲に気を引き締めようとした。もっとも、佐伯の妻の米子は海軍筋であることは、海軍にも通じていた若松安太郎とも確認しあったが、海軍は全体に甘いから強敵ではないとの意見一致をも見た。いくつかの横線はそれぞれ、別紙記載の存在を示唆している。

(落合氏解説)

問題は、田中−宇垣の線である。
田中−宇垣が知っているか?
知っている場合は、誰がどこに隠したかを知っているか否か。

(「ニューリーダー」 2002年2月号 原文はカタカナ)

周蔵と安太郎が密命の遂行上で一番の問題と見たのは、陸軍内のアンチ上原派たる田中−宇垣閥の動向であった。彼らは、密命の目的物の存在を知っているか。それも、誰がどこに隠したのか、正確に知っているかどうか。それを周蔵と安太郎は論じ合ったわけである。

(落合氏解説)

○○○○となると、三人にしようと決める。
後は行き当たりばったりだ、とのこと。

ちなみに安太郎氏曰く、○○○は○○○○○○と言うこと聞いたから、親方はこれだけを○○○○○○のかね。後は田中の○○かね。尤も、田中−宇垣と言うのは、宇垣が人を信用しないから、我々みたいなものがいつかない。○○○○連中は軍人だから、それから○○○○宇垣の所に○○○は、○○○だろうね。よくてね。
貴志さんなんか、軍人でも宇垣の言うことなんか聞かないからね。張作霖の抱き込みも必要だろうしね。閣下も○○○○になったのだろう。と安太郎氏言いながら本当の所は分からないから。閣下が一番の狸だねとつくづく言わる。然し悪い人じゃないよ、とのこと。
(注:○の部分は落合氏が国益に関わる部分と判断して伏字としてある)

(「ニューリーダー」 2002年2月号 原文はカタカナ)

目的物の分量から、実行者は三人にしようと決まった。後は行き当たりばったりだ、とのことになる。

ここで親方というのは上原元帥のことである。どうやら、以前に上原と田中−宇垣の間で当該物品の争奪が陰に行われ、その結果、上原が何がしかをまず確保して、残余を田中−宇垣が得たものと安太郎氏は推量する。もっとも、宇垣の器量は狭いから、安太郎氏のような工作員が居付かず、配下の軍人に処理させたが、軍人のほうにむしろ問題があり、宇垣の所に届いた時には相当量が散逸していたはずとも推量している。
当該物品には経済価値があった。上原元帥がこれを換金しようとするのは、張作霖に対する援助が必要になってきたからであろう。「本当のところは外部にはわからないから、結局は田中や宇垣などよりも、上原閣下が一番の狸ではないか、しかし決して悪人ではない」と安太郎氏は結論した。

(落合氏解説)

末ぴ
閣下に渡航の名前のこと相談す。しばらく考えておられたが、「タバコやがよかろう」とのこと。資金にと3萬円いただく。
「よもやと思うが、命がけだよ」と言わる。婆さんのこと聞かるる。
何となく自信 はある。

(「ニューリーダー」 2002年2月号 原文はカタカナ)

スパイは海外渡航に際して、公的記録に本名を残さないのが常識である。周蔵はこれで2回目の渡欧だが、最初は久原鉱業社員武田内蔵丞、今回は煙草商小山健一の名義で旅券を申請した。上原元帥が小山名義で行けと命じたのである。
渡航の資金にと上原元帥から貰った3万円は、現在の物価では1億円を超える巨額である。何のためにそんな大金が要るのか、定めて仔細があるのであろう。ついでに祖母ギンヅルのことを聞かれた。上原勇作にとって叔母に当たるから、高齢を心配してのことであろう。

(落合氏解説)

こうして閣下の所に出入りするも、疑われている所、少なしと思うに成功すると自信が持てた。何といっても、ニコラヒフスクから従業員に他、無関係なる人を数十人引き連れて逃げ切った安太郎氏がおるのであるから、いざという時の機転は大丈夫であろうと思う。

(「ニューリーダー」 2002年1月号 原文はカタカナ)

こうして毎度上原邸に出入りしているが、他から疑われているところが少ないと思うから、今度の任務が成功するとの自信が持てた。何といっても、尼港事件の時にニコライエフスク(尼港)から島田商会の従業員にとどまらず、無関係の人も含めて数十人を引き連れて逃げ切った若松安太郎(堺誠太郎)氏が同行してくれるのだから、いざという時の機転は保証されたようなものだ、とも思う。

(落合氏解説)

ネクル氏は、もう充分やっていてくれるであろう。手紙から押して、この人物は相当の人物である。会うのが楽しみである。

(「ニューリーダー」 2002年2月号 原文はカタカナ)

ネクル(藤田嗣治)氏はパリで、充分に相手側との連絡をやってくれていると周蔵は信じた。手紙から推察しても相当の人物で、会うのが楽しみで、周蔵はワクワクしていたようだ。

(落合氏解説)



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