甘粕正彦





2.経歴に関する疑惑 (除隊に関して)


「吉薗手記」を検証している落合氏は、甘粕が陸軍戸山学校で膝の怪我により歩兵科に適さない身体になったため、憲兵科になったという従来の伝記に疑問を呈しています。
膝の怪我の原因が「器械体操」(弟)、「乗馬中」(母)と曖昧なことがまず怪しいとして、
「知人の観察では、甘粕の歩き方には明瞭な特徴があり、膝をピンと伸ばしてから足を下ろすから、靴が大地を打ってカツカツと鳴り、まるでナチ陸軍のような歩き様であったという。満州に渡った後も、盛んにしていた海釣りの都度モーターボートを乗り降りしたし、欧州使節の際なぞ、突如ムッソリーニに向って走りだした(武藤富雄著『甘粕正彦の生涯』)くらいで、足が悪くて行動に差し支える様子はどこにもない
当時の陸軍には、貴志彌次郎と同期(士候六期)の佐藤安之助のように、片腕を失っても外地で情報勤務に当たりつつ、歩兵科の少将まで勤めたものがいるのに、この程度の膝の怪我で、直ちに除隊という話はいかにもおかしい。」
(中略)
「中尉に昇進した甘粕は、大正7年8月朝鮮憲兵隊付の発令を受けるが、大正4年の”怪我”から発令日までの約3年、公式履歴は査として伝わらない。これは、経歴を重んずる軍隊では異例で、陸軍の常識では
特殊任務に携わらせるため意図的にその間の履歴を消した
と見るべきである。」(中略)
「私(落合)が聞いたところでは,甘粕は自称怪我の期間,実は密かに渡仏していた。それは上原参謀総長の計らいで陸軍の履歴を偽ったまま、しかも、日仏混血の一女子とともに渡仏し、夫婦然として滞在したという。そのことは、後の『周蔵手記』の行間からも読み取れる。実は武藤著の伝記中の記載に、図らずして渡仏の証拠が窺われるのであるが、詳しくは後述する。」
(ニューリーダー 1998.9月号掲載より)

これが本当だとすると、角田房子著『甘粕大尉』にある、大杉栄殺しで服役した後の妻との渡仏の悲惨な記述は、まったくの誤りということになりますが...。
どちらが本当なのでしょうね。少なくとも、膝の怪我が理由でで除隊というのは怪しいと思います。



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