●経緯


4)読売新聞の大虚報

●11月9日、読売新聞夕刊の社会面トップに「秀作陶磁展 看板に偽り」という大紙面が出ました。

「秀作古陶磁展 看板に偽り」

明・李朝作品 模作の疑い

学者クレーム 市は鑑定拒否

(全文掲載はこちら)

●落合氏のコメントを見れば判るように、読売の記事は明らかに故意に展示物を貶めるような記事内容となっています。

記事内容

落合氏のコメント

1)後世に作られた模作である疑いが強く質も低い、との指摘が大学や博物館の研究者らの専門家から相次ぎ−−− *客観的な指摘を超えた強い感情的な悪意がある。たとえ図録の表示にように古い年代ものでなく、極端に言えば現代製であったとしても、そのものの美術的価値の有無は別問題。本物の学術関係者なら、こんな感情的なコメントはしない。この過剰に侮蔑的なコメントに読売の坪井記者の意図が明瞭に見えている。
2)後世に作られた模作である疑いが強く質も低い、との指摘が大学や博物館の研究者らの専門家から相次ぎ−−− *指摘している専門家はごく一部である
紀州文化振興会がアンケートしたところ、東京国立博物館、京都国立博物館、神戸市立博物館なども読売の取材には応じていない。この他に陶磁器関連の博物館というと大阪市立東洋陶磁美術館しかない。ここに匿名を条件に読売新聞に迎合してコメントした者がいた。読売新聞の取材に応じた専門家は実際には一部の者に限られる。しかも、その「専門家」は図録を見ただけで、年代真贋はもとより美術的価値まで断定を行っていることである。えらい自信の持ち主であるが、学者の方法論としては常軌を逸している。
3)国宝、重文級の超一流品をまねた類似品が多く−−− *絵画とちがい、美術工芸品はある程度量産された。分業だから量産しなければ経済性が満たされないからである。また、工芸品の意匠は時代を超えて踏襲する。したがって、国宝重文であってもその意匠が最初に用いられた本歌であるとは限らない。国宝重文がオリジナルで他は模倣というのは誤った認識。
4)「学者クレーム」、「東洋美術史を研究している短大教授が市側に再鑑定などを申し入れた」 *ここでいう短大教授とは帝塚山学園の大伴公馬である。
1)大伴氏は心理学が専門で、東洋美術史に関しては専攻したこともなく、講座もない。
2)骨董雑誌『小さな蕾』に投稿しているが、内容は雑文随筆であって学術論文ではない。その内容もいわゆる土モノに偏っている。市井の骨董愛好家の1人に過ぎない。
3)大伴が教職にあることと、私的に古美術を研究していることを紙面で結びつけて「古美術専門の教授」と読者に錯覚させるように書いており、読売新聞の作為が見える。
そんな大伴が自分の知識や経験の範囲で、岸和田市の展示会に関して何らかの疑念を表明したとしても、いってみれば戯言の類で何ということはない
これは、いかにも権威ある学究がクレームを付けたかに見せた作術的表現である
5)「展示品について専門家の意見」
A)釉薬の掛かり方が均一すぎて数百年前にしては不自然
B)年代物特有のスレがほとんどない
C)器の方面に滲みでているサビに古さが感じられない
D)高台の底が、年代物特有のザラツキがない
*これはすべて完全に的外れである。
A) 釉薬の掛かり方は製作年代によるものではなく、産地による。李朝や中国の民窯は不均一であり中国の官窯は均一である。展示品には均一のものもあるが窯の性格に応じたもので何の不自然もない。
B)スレは年代によるものではなく、保存の状態による。展示品は秘蔵されていたからスレは少ない。それは当然である。
C)陶器と磁器を混同したもので「専門家」が土モノしか知らない素人であることを自白している。磁器にサビは出ない。
D)展示品の高台を「専門家」は見ていない。外部者に実物を触らせていないからだ。この「専門家」は実物を見ないで放言した証拠である。なお展示品にはザラツキのあるものが多い
6)後になって伝統的な窯で、秀作そっくりに焼かれた『倣古品』のような質の高い模作でもない これは上記1)の「美術的価値もない---」と同じことで、新聞紙上でいう必要のない感情論を強調したもの。何としても展示品を排斥したい読売記者の執心が見られる。

 


岸和田贋作事件に戻る (Since 2000/06/03)